悲しいも何も、花火上げたっていいくらいだよ

旗野秀人さん

対面シリーズ……この特集は、僕たちの人生を僕たちの足で踏みしめて歩んでいくための基礎体力を得るべく、方々への対面を勝手に企画しているものです。

今回の語り手:旗野秀人(はたの・ひでと)さん:
1950年、新潟県阿賀野市(旧安田町)生まれ。「安田患者の会」事務局、「全国お地蔵さんファンクラブ連盟」事務局。1971年に水俣病事件と出会い、本業の傍ら、地元患者の会で事務局を担う。棄却された患者の行政不服や裁判を経験する中で、システム闘争の限界を感じ、同時に故郷や患者自身にある魅力に気づかされる。1984年に佐藤真監督と出会い、映画『阿賀に生きる』(1992年)を仕掛ける。現在は「阿賀に生きるファンクラブ」事務局や「冥土のみやげ企画」を主宰し、映画上映、温泉旅行の企画など多彩な文化活動を地元の若者たちと展開中。好きな食べ物は酒。

聞き手:高倉鼓子、高倉草児……ガイアみなまた職員

(2020年8月26日、旗野住研にて)

まえがきに代えて

(株)旗野住研の代表取締役(本人は「取り締まられ役」と言っています)・旗野秀人さんとの対面が実現したのは、今夏。Gotoキャンペーンと外出自粛の両方が叫ばれる時期であった。不要不急ではない。私たちはどうしても、旗野さんに会いたかった。

昨秋、水俣病資料館で開催した企画展「新潟と水俣」では、『阿賀に生きる』上映会や川本愛一郎さんとのトークイベントなどで、旗野さんによる「宝もん話」をたくさん聞かせていただいた。九州各地に新たな旗野ファンが生まれ、「また来年もやっちゃうか!」と笑いながら話したことを覚えている。
そのとき会場になった旅館が7月の豪雨で被災した際には、即座に旗野さんから寄付をいただいた。その額の大きさに恐縮していると、「こういうときは何よりお金。金は天下の回りもんなんだよ!」と笑って背中を押してもらった。深く御礼申し上げたい。 建築大工、新潟水俣病安田患者の会事務局長、冥土のみやげ企画、映画『阿賀に生きる』仕掛け人etc……あらゆる肩書きも、旗野さんを完全に言い表すことはできない。まさに「会ったらわかる人」だ。
新潟で生まれ育ち、20代で新潟水俣病の患者運動の支援者になった。非常に保守的な地域で、建築業を生業としながらも権力に楯突く運動を続けることは、至難の業であっただろう。旗野さん自身が「負け負けの10年」と称する、水俣病認定申請を棄却された被害者を救うための行政不服審査請求運動は、挫折の連続だった。それでも半世紀近く、阿賀野川と共に生きるジイちゃんバアちゃんの人生に寄り添い続けている。1995年の政治決着後はその運動スタイルを文化運動へと転化させ、共感の連鎖が起きた。旗野さんを慕って、全国から老若男女が新潟に足を運ぶようになった。私も「旗野にタラされた」一人である。
大酒飲みで、歯に衣着せぬ物言いはときに誤解を生むこともあり、マトモな人には「何てヤツだ!」と怒られがちだ。常識が求められる世において、旗野さんの言動は非常識であるといえばそうなのかもしれない。一方で情の深さは人一倍で、誰しもが抱えている「切なさ」をよくよく理解してくれる人でもある。

だから旗野さんは、決して他者を排除しない。

現実はときに、マトモな「常識」が弱者を切り捨て、意見を異にする者に対して不寛容さを隠さない。COVID―19でその風潮が強まる中、「何でもオッケーなんだよ!」と言ってくれる旗野さんの存在は、私にとっての救いだ。
旗野さんから届く手紙の最後にはいつも、「新潟の愚父より」とある。水俣の愚娘としては、旗野さんに「またひとつ、冥土のみやげが増えた」と笑ってもらえることを、思いついては実行していきたい。

(高倉鼓子)

※以下敬称略

冥土連って、何?

旗野さんと久々の再会
▲久々の再会につき、思わず抱き合う二人。

鼓子:改めまして、今日はよろしくお願いします。

旗野:ちょっと水を足してきていい?

草児:何水、ですかね。

(旗野、酒ではなく水を入れに立つ)

草児:かしこまると、ダメですね。

旗野:いいよ、ちょっと真面目にやりましょう。せっかく遠路はるばる来たのに。

草児:一番知りたいのは「冥土連」のことなんです。七福神が乗った船、みたいな勢いがある言葉で、何だか惹かれる。だから「冥土連って何?」というのが、今日の質問の全てです。

旗野:とてもいい質問ですね。それこそ桑原史成さんに声かけてもらって、「冥土連・設立宣言」というタイトルで史成さんの『水俣事件』に文章を書いているけど。
1995年の12月でいわゆる政治決着して、「やっと裁判が終わった」って、みんなホッとしたわけ(※)。裁判から帰って来れば周りからはね、「村の恥さらしで、また新聞テレビに出ている」って言われて。そばにいればさ、そんなの……どれほど嫌で切ないことか、わかる。その人たちが「もう裁判所行かなくていいんだね」って。じゃあ何したい?って聞いたら「温泉行きたい。カラオケ歌いたい」って言った。調印式は12月の後半だったから、じゃあ忘年会ということでみんなで行こうって。それで初めて、みんなで柳水園(※)に行った。みんなでカラオケ歌って、一泊して。当時は権瓶晴雄さんが会長だったの。みんな喜んで歌うんだけど、権瓶さんだけカラオケが苦手なんだよ。

※当時の与党三党(自民・社会・さきがけ)が、水俣病未認定患者への救済策をまとめた。内容は主に、一時金260万円に加え、障害の程度に応じて「保険手帳」「医療手帳」を交付し医療費などを支給するというもの。複数団体がこの政治決着に臨んだが、ここでいう「みんな」とは旗野さんが事務局を務める「新潟水俣病安田患者の会」のことであり、会は第二次訴訟の原告によって構成されている。
※柳水園は、新潟の名湯・咲花温泉にある旅館。毎年5月4日に行われる冥土連の追悼集会も、ここが定宿である。2020年5月には、その歴史を綴った『柳水園ものがたり』が冥土連によって発行された。

鼓子:あ、そうなんですか。

旗野:歌わないのは権瓶晴雄だけ。会長だし、「最後ホラ、権瓶さん歌わんかよ」って言ったらマイク持ったまま、あの人真面目だから、なかなか歌が出ない。でも突然「ポッポッポ~、ハトポッポ」って出てくるわけですよ!

旗野住研事務所にてインタビューの様子

鼓子:わあ~!

旗野:それがまたね、哀愁を帯びて、いいわけ。俺は、ものすごく感動したんですよ。ああやっぱりこの人らしいし、歌えないのにでも歌わねばって出た総決算が「ポッポッポ」なんだな~っていうのが、あの人の性分っていうかね、よくわかった。で、よかったよかったと言って次の朝になって、誰だったか忘れたけど、「旗野さん、ありがとうね。おかげさまでまた冥土のみやげがひとつ増えたわ」って。

草児:うーん……。

旗野:それまでも「いつもありがとうね、手伝ってくれて」とか礼を言われることは、あった。でもその日の「またひとつ冥土のみやげができた」っていうのがね、すごく……こんなに素朴で、温泉に行きたかったり歌うのを我慢してみたいなことを、世のため人のための裁判闘争は、黙らせてきたんだ。それを理想の患者像みたいな形で強いていたんだなということを、ものすごく反省した。
そのときは安田患者の会も、3分の2くらい死んじゃっているわけです。だから苦渋の選択でハンコを押して、たかが260万、されど260万。それは13年半の成果だと、俺は思っているけど。よし!残った人生、明日は我が身という不安を抱えて生きているこの人たちにはとにかく問答無用で「ああ、水俣病にはなってしまったけど、生きていてよかった。旗野さんありがとうね。楽しかったよ~」と言って死んでもらう、楽しい運動をやろうって決めたのが、冥土のみやげ企画のきっかけなんですね。「次何やりたい?」って聞いたら、「お花見会」「コロリ三観音巡り」とかね、色々出てくる。何だろうな……それで自分自身がすごく、解放されるっていうか。

鼓子:うん。

旗野:自分もラクな運動スタイル。誰が何と言おうと、自分も楽しい。実はそれは、渡辺参治さんの存在もすごく大きくて。最初は参治さんを、持て余していたんです。俺自身も、世間が参治さんを見る目と同じ見方しかできない。「何でこの人、屋根屋なのに、水俣病の認定申請して棄却になって俺んとこに相談来るんだろう?」って。町中で知らない人はいないくらい、有名だったんです(※)。だから正直言うと、俺も参治さんのことを患者だとは思わなかった。扱いづらいというか……どこでも歌いすぎて、患者らしくないんだもん。

※渡辺参治さんは安田町の屋根葺き職人で、歌の名手。村の盆踊りで、九歳から櫓の上でバチを持って歌っていた。その腕(喉?)が買われ、祭りや行事に引っ張りだこであった。

自分の中にある「理想の患者像」

旗野:特に裁判の最中はやっぱり、「理想の患者像」を求めるんですよ。とても象徴的なのは、市川文子さんといって、当時40代かな……患者の中でも若手。でも人工透析をやったりして、結婚しても流産してなかなか子どもができない。みんな期待するわけじゃない?「子どもはまだか」って。そういう負い目を感じつつ、でも原稿書いたり何でもできる人だから、裁判始まった頃の集会で挨拶をしたり壇上にのぼるようなポジションにいたわけ。それで何回目かのときに、突然泣きながら「一番苦しかったのは、子どもを催促されたことだ」って、自分自身の感情が高まって、原稿以外の話として思わずポロッと言っちゃったのね。それは胎児性水俣病患者が生まれる前の被害の有り様(※)だなっていうのは、一応は承知していたんだけど……。

※高濃度の有機水銀被害として、妊婦の早産・流産があった。また特に新潟では、水俣病公式発表後の早い段階で、毛髪水銀値の高い女性に対して妊娠規制や授乳禁止の措置が取られたという歴史的経緯がある。実際の規制・禁止の例、また当事者の声については、次に挙げる論文に詳しい。
浦﨑貞子(2005年)「ジェンダーの視点から見る新潟水俣病―「妊娠規制」「授乳禁止」の検証と考察―」『現代社会文化研究 No.34』pp.107-122, 新潟大学大学院現代社会文化研究科紀要編集委員会

旗野住研事務所にて、インタビューの様子

旗野:当然、ウケるわけですよ。聴衆もひょっとすると、もらい泣きしたりとかね。主催者も「すごくいい話だ」と。裁判は毎月あったから「文子さん、またあの話をしてくれ」って、次は要望が出るわけです。そうすると文子さんは「旗野さん、あれは自分もびっくりするほど、たまたま出たんだ。とても同じ話はできない。でもみんなには厄介になっているし、どうすればいいんだろう」。だから俺は「文子さん、断れないでしょう?そのときはとりあえず『はいはい』って返事すればいいんだよ」って。「でも、当日になってやっぱり言えないっていうことになったら、言わなきゃいいんだ。それが文子さんの正直な気持ちなんだから。それは決して裏切ったことにはならないし、文子さんが悪者になるわけじゃないから。そうすればラクだろ?相手も安心するだろ?むしろそういう気持ちを周りがわからなきゃいけない。『あの話よかったから、またもう1回』ってまた求めるのも俺はおかしいと思う。どれだけ切ないかっていうことを、分かっていないんだ」って答えた。「本当にそれでいいんだか?」って言うから、「いいんです!」って。「そんなに心配なら、俺が責任取る」って。だって俺は責任も何もさ、いい加減なんだから、責任なんか取れるわけない(笑)。でもね、俺がそう言った途端、文子さんが楽になる。

鼓子:そうですね。

旗野:代わりに喋るわけにはいかないんだし。そのときはまだ俺、ちゃんと気づいていなかったけど、自分もいつの間にか理想の患者像を求めていたんです。こうあってほしい、こういう話だと共感を得やすい、と。それと同じで、何だかんだ言いながら自分の中にも、認定審査会を作ってしまっている。そこでは参治さんを棄却しているわけです。「元気がよすぎる」っていう欄で。ついつい「痺れはないんですか?」みたいなことを聞いちゃったりしているんだな。やっぱり最初は川本輝夫さんの真似をしたくて、『認定制度への挑戦』にアンダーライン引いたりとかね。でも目の前にいる患者さん、まあ参治さんが一番の代表格だけど、もう完璧に認定要件を裏切るような患者さんばっかりなわけよ(笑)。あのレールで闘っちゃあ絶対勝てないような人ばっかり。
参治さんの前に出会った人で言えば、佐久間七太郎というおじいちゃんが、五泉市の川向にいたんですけども。七太郎さんも棄却になって、そこから行政不服ということになった。当時は旧法だから書面で反論する。七太郎さんは「これが反論書だ」って、好きな魚をカタカナで10匹くらい書いたの。俺は「七太郎さん、これまずいよ。何にもならない」みたいなことを、ついつい言っちゃった。「でも俺はこれしか書けない」と七太郎さんは言う。まさに自分の中の認定審査会で、落としているわけです。この人が精一杯の思いで、震える手で書き上げた反論書を、こっちが理解できない。それで敵と同じようなことを言っちゃっている。「これじゃまずいよ」みたいな。でも「あ、そうなのか。わからない方が問題なんだな。書いている人を責めちゃいけないんだな」っていうことに、後になって気づき始めて。
それで参治さんの天真爛漫な解放された姿なんかを見て、「まず自分も解放されないとダメなんだな」っていうことに気づき始める。だから、結構時間がかかっているんですよ。参治さんと正々堂々、日本全国を飛び歩けるようになったのは、この20年くらいだと思う。参治さんは歌う人、旗野さんは飲む人って、平気で分担できるようになった。「ハイそれからどした!」(※)みたいな(笑)。

※渡辺参治さんの米寿記念にリリースされたCD『うたは百薬の長』(冥土のみやげ企画、2003年)で披露されている、旗野さんの合いの手。その掛け合いの妙から、二人の間柄が伝わってくる。機会があればぜひCDを聴いてください。お買い求めはこちらからどうぞ↓
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旗野住研事務所にて、インタビューの様子
▲事務所の中には、「冥土のみやげ」がそこかしこに並んでいる。

やりようが違いすぎる

鼓子:「自分も解放されないと」って思い至る前、旗野さんはずっと行政不服審査請求などの運動を重ねてこられましたよね。本当に若い頃から、駆け抜けてきた。その積み重ねの中で「何か違うな」というか、「自分はそういう運動が合わない」というようなジレンマがあったのかなと、今聞きながら思いました。

旗野:71年の9月に四大公害裁判の先駆的な判決が出るわけですね(※)。その暮れに、東京のチッソ本社前で座り込みをする川本さんと会って、年明けの正月休みを終える頃、川本さんに「その後どうなっている?」って声かけられた。だけど全く答えることができなかった。(新潟水俣病のことを)全く知らない。「ここにいるよりも、あんたは地元に帰って、患者さんのためになることをやるべきじゃないか」みたいなことをグサッと言われて。それと同時に、だいたいお盆休みとか正月休みを利用して家出の真似事、「正しい家出」をやっているんですよ。

※新潟水俣病第一次訴訟判決のこと。新潟水俣病の原因が、昭和電工の廃水中に含まれるメチル水銀であることが確定された。また熊本水俣病の原因が同様の工場廃水であることを知っていながら、阿賀野川にメチル水銀を含む工場廃水を排出した「過失」も認められた。

鼓子:あははは(笑)。

草児:ちゃんと戻ってくる、家出ですね。

旗野:そうそう。いいタイミングだったんです。川本さんの言葉と、自分自身の家が心配って。また親父が仕事しないで酒飲んでいるな、みたいなね。それで新潟に戻ったら、裁判が終わったということで農薬説(※)はひっくり返って、行政も動きやすくなって認定患者を出している。あれまあ、じゃあとりあえず認定患者から回ろうかっていうことで、噂を聞いて訪ねる。だけども当然、なかなか受け入れてもらえないというか、寄せてもらえない。

※第一次訴訟の際、昭和電工の廃水が原因であることに対する反論として出された。1964年の新潟地震による津波で、信濃川河口付近の農薬倉庫から農薬が流出。阿賀野川の河口まで達した後、塩水楔(えんすいくさび)に乗って阿賀野川を逆流し、流域を汚染したという説である。なお、この説自体は、第一次訴訟の公の場ですでに否定されている。(『環境と人間のふれあい館』ウェブサイトを参照、2020年10月20日時点)
http://www.fureaikan.net/minamata/glossary.html#no02

まあいくらか時間は経過するんだけど、安田患者の会のきっかけを作る市川栄作さんという人のお宅に行ったときに、最初はバアちゃんに「水俣病の話なんかできない」と断られた。でも「お茶飲み話ならいいよ」って言ってくれて。また訪ねたら、たまたまそこの長女と俺が同級生だってことがわかった途端に、門前払いから一気に打ち解けた。「それにしてもあんたはそんなに水俣の、みんなが嫌がることをようやってるねー」みたいな話から、「いや、うちのジイちゃんも実は棄却になったんだ。今度ジイちゃんの話、聞いてくれ。夕方になると船から上がってくるから」「本当にいいんだかね?」って。今度は夕方、その時間めがけて行ったら、ジイちゃんはもう風呂に入って酒飲んでいる。「旗野さんも好きなんだか?」ってきたけど、「いや、運転だから」「泊まっていけばいいよ~」って(笑)。

鼓子:あはは。うんうん(笑)。

旗野:「エェー!?」みたいな。初日の話じゃないけど、でも驚くくらい簡単に「泊まっていけばいいよ」みたいな、思わぬ展開になったわけですね。頭では川本さんの真似事をせねばならないというプレッシャーを抱えつつ、栄作さんも棄却されているって話だし、そこから「あ、じゃあこの人の手伝いを」みたいになる。だけどやっぱり、水俣と新潟は違うんだなっていうのが、いちいち出てくるんですよね。簡単に言えば症状がすごく少ないというところで、ついつい「もっと症状がないと困るんだけども」みたいなことを……。

鼓子:言いたくなっちゃう。

旗野:なっちゃうんです。……あれあれあれ?みたいな。ましてバアちゃんが「ジイちゃんなんか、まだいいんだ」って。船頭組合で検査してもらったからね。「家族はまだ一回もしていない」と言う。「娘のことを考えると、なかなか検査もしづらい」みたいな、想像もできないような問題が、やっぱり出てくる。

旗野住研事務所にて、インタビューの様子

鼓子:うーん……はい。

旗野:「じゃあ今度、船頭仲間を集めとくから、みんなの話も聞いてくんなさい」とか言われて、どんどん思わぬ展開になっていった。男衆だけじゃなくて、家族の話もね。実は「本人申請制度」っていうことで、いつでも誰でも、役場に行けば申請できると言われている。でもね、人口1万人くらいですよ。役場の人間からすれば、どこの誰だなんて、みんなわかる。「あの人なんか船頭でも漁師でもないのに、水俣病の申請に来た」っていうのを、コソコソ話で言われるんだ。

鼓子・草児:うーん……。

旗野:制度としては門戸を広げているけど、「実際的には行けないんだよ」「できねえんだ」って。昔みたいに地元で集団検診を呼びかけて集会所でやるならまだ、みんなで行くからやれたけど。それはもう昭和46年(1971年)の時点で打ち切ったんです。もうやるだけやったからって。あとは本人申請制度に切り替えちゃった。でも、その落とし穴が今言ったことで、建前上は「いつでも誰でも」って言いながら、現実的にはできない。それが水俣病事件の根深さですよね。
棄却の問題と同時に、それがすごい大きな問題。同じ食生活をしているのに職業で差別されたりとか、家族の女の人が一回も検診できない。現実問題としてそういうのが目の前に出てきて、初めて自分が気づくことになった。「じゃあ、自主検診でもいいから村の集会所で、みんなでもう1回やらない?」っていうことで、栄作さんの連れ合いでキヨミさんっていう人……この人がまた太っ腹で、女相撲の横綱みたいな体型と人柄なんだけど。そのキヨミさんが一軒ずつ回って。

鼓子:うわ、すごい。

旗野:「ほら、オメさんとこも昔から魚獲りしてんだから。みんなで(検診)やればどうでね?」みたいなことで。まず自分の親戚筋、身内から広めていくんです。約100戸の村ですから、当然ながら村ぐるみを目指すことになるんだけれども。
村は8割方、川と関係する暮らしで成り立っていたんです。昭和38年(1963年)に揚川発電所っていうのができる。要するに、東京オリンピックの頃ですね。現在とある種ダブりますけれども、その頃から、イケイケどんどん。ダムができて、船が川を上れない。じゃあ陸上運送でより早く、大量にっていうふうにシフトしていった。先見性があって、お金をある程度持っている人は、みんなダンプとか土建屋に衣替えする。で、船頭は成り立たない。お金もないし先見性もない、いつまでも船頭にしがみついていた人たちの中で、患者さんが多くなる。これも誤解を招く言い方ではあるんだけど、実際そうなんです。時代に乗り遅れるっていうか、すごいギャップ。まあ、世の中の縮図ですね。
安田町っていうのは、ひとりの首長が町長から市長まで継続してもう四半世紀……どころじゃないな。半世紀くらい首長が変わっていない、土建屋王国なんです。人口1万人の土地にインターチェンジの話を持ってくる。

鼓子:すごい。

旗野:そのくらい実力がある、保守王国。だから旗野住研なんか「アカの工務店」って言われているんだけど(笑)。

旗野住研の看板

旗野住建の作業場
▲念のために言うと株式会社旗野住研は健在であり、「マッチ一本で燃える家」を売りに躍進中である。

旗野:うまく成功した人たちはみんな繋がっているから、たとえば栄作さんとこのバアちゃんが回ると、「あんなアカみたいな若い衆に騙されて。早く手引いた方がいい」みたいな……面と向かっては言われないけど、そういう噂が広まっている。だから、絶対検診には応じないグループっていうのがいるわけ。

鼓子:そうかあ。

旗野:もう完全に、そういう棲みわけっていうか、構造がある。でも、120人くらいは検診したかな。最終的には自主検診なんだけどね。「本人申請制度があるから」「行けば絶対やってくれるのに行かないのは、それは水俣病でないから、あんた方はできないんだ」みたいに言われる。

草児:うーん……。

旗野:それで、俺が27歳くらいかな。「集団検診を実現させる会」っていうのがいつの間にかできて、初めて町長との交渉みたいな席につく。当然ながらハネられることがわかっているから、手書きで原稿用紙に「要求書」って書く(笑)。「これくらいの人数で集まっているから、昔と同じように地元で検診をさせてください」と。

草児:はい。

旗野:5、6人の代表の名前を、原稿用紙に書いた。みんなは道路普請と同じ気持ちで、「旗野さん、心配いらないよ。町長さんはいい人だし。いつも面倒見のいい人だから、オッケーもらえるよ」みたいなことで、行くときから意気揚々としている。行った途端にまず、俺がテープレコーダー持っているのを見て「何だこれ?何でこんなの回してんだよ?」って。それで、原稿用紙。「人にものを頼むときに要求書?何だ、この書き方は?お前、誰から習ったんだ?こんなことやって、親父さんが泣くぞ。やっていることわかってんのか!」……うちの親父と町長ね、何か、親戚筋なんですよ(笑)。

鼓子・草児:あはははは(笑)!

旗野:だからそういう感じで、もう頭ごなし。

鼓子:そうですねえ、怒られて……。

旗野:問答無用です。最後には「わかった。この名刺持って行けば、みんな見てもらえっから」「俺忙しいから、じゃあな!」みたいな感じで言われて。みんな、もう唖然として。「えー?いつもの町長と違う……」「旗野さん、我々何か悪いことしているんじゃねえのか?」みたいな。
午前中の時間だったかな。とにかくもう村に戻って、みんなヤケ酒さ。さっぱり訳がわかんないから、「どういうことなんだね、これ?」「この水俣病の話ってのは、そんなに面倒くさいことなんだかね?」みたいなことで、ヤケ酒飲んでいた。みんなにとってはやっぱり、すごくショックだったでしょうね。裏切られたような気持ち。じゃあっていうことで、飲みながら相談して、「保健所の所長も安田出身だから、旗野さん、保健所の所長さんに手紙書いてくんなせ」って感じで、手紙を書いた(笑)。でも案の定、「本人申請制度があるから。順番があって云々」「わざわざ来てもらう必要はありません」という丁寧なお断りの手紙が来た。次は社会党の県議会議員に手紙を書けばいいって言われたかなー。その後は、白川健一さん。当時新潟大学の患者側の先生っていうことで、白川先生に手紙を書いた。

鼓子:はい。

旗野:片や自分の思いを、好きな川魚の名前10匹、カタカナで表すような人。その取りまとめを、道路普請と同じ純粋な気持ちで「何とかしてもらえるよ、旗野さん」って、お願いしに行く人間がいる。でもまあ結局は、みんなダメだった。

鼓子:ダメかー。

旗野:一応全部やったんです。川本さんの真似をせねば、という自分がいて。だけど、やりようがあまりにも違いすぎる。

大事にしていることば

旗野:決定的だったのは、30歳になったとき。餅屋のジイちゃん(※)の一言なんだけどね、「お前、幾つなんだ」って。「そんなアカみたいなこと、いつまでもやっているもんじゃない。幾つになった?」「30」「まずは嫁もらえ!所帯を持って、大工仕事をちゃんとやって、職人がみんなくっついてくるような親方になんなきゃダメだ!」とガツンと言われた。「生活者たれ」と。そういうことで言うと、世の中にはギリギリセーフの助け舟が節目節目にあるもんだな~って、今になってつくづく思う。すごく大事な話で、忘れないようにしているんだ。

※映画『阿賀に生きる』の登場人物の一人、加藤作二さんのこと。旗野さんの人生の師匠。

もうひとつ自分が大事にしているのは、権瓶さんとの出会いからお宅に足を運ぶようになって。奥さんと、子どもが四人いて、やっぱりあそこん家も生活が大変だった。晴雄さんはまともな仕事ができなくて、一時生活保護を受けたりして。行政不服をやっていたけど、奥さんは水俣病の悪い噂をいっぱい聞いているから、絶対検診を受けたくない。で、あちこち行ってもうまくないからって、毎日医者通い。
でもたまたまその日は、初めて鍼をやってもらって、そしたらとても調子がよかった。「自分の体は鍼が合うかもしれない」って、久しぶりにいい話を聞かせてもらった。俺もその日は泊まらないで帰って来たんだけれども、久しぶりに奥さんが喜んでいて、ちょっとホッとした。そしたら次の朝、晴雄さんから電話があって「いや実は、今朝一番下の娘が小便に起きたら、こんな細いイチジクの樹に母ちゃんが首吊っていた」って。
びっくりして。夕べはあんなに喜んでいたのに、訳がわかんない。すごいショックで。初めて付き合っている人が死んだわけだから、どうしていいかわからなくて「こういう場合はどうすればいいんだ?」ってお袋に聞いたら「とにかくすぐに行ってやること。すぐに行ってやれ。そしてそばにいてやることだ」と言われて。とにかく泣きながら行って、1週間くらい泊まりがけでお葬式の段取りとか、色々やって。それで、子どもたちともより深い関係になった。晴雄さんも「旗野さんは親戚以上の付き合いをしてくれているんだから、何事かあった場合は必ず旗野さんに相談するように」みたいなことを、子どもたちに言う。で、しばらくして次男が進学するか就職するかで迷っていたから、うちに職人の弟子入りしないかってことで、弟子入りして。うちで5年修業して大工になった、みたいなね。
そのときはもう、本当に必死で、どうすればいいかわからない。でも、「何があってもそばにいてやれよ」というのはとても大事なことだったのかなっていうのが、後々になってわかる。患者さんが、行政不服やろうが裁判やろうがみんな辞めようが、風呂行こうがコロリ三観音巡りしようが関係なく、「いつもそばにいてやることが仕事なんだ」ってお袋は教えてくれたんだなって、後で気がつく。それで振り返ってみたらどんどん、まさに親戚以上の付き合いみたいになっちゃっている自分がいる。

鼓子:裁判とか、そういうことじゃない部分で人生を共にするということが……「いつもそばにいてやれ」というお母さんの言葉が、心にグッサリきています。うちの父は患者団体の事務局として、認定申請や裁判のお手伝いをしてきたけれど、「旗野さんのようにはできない。旗野さんは特殊だ」と言っていました(笑)。

旗野:意外とそう言われるんだよ(笑)。自分では、まともだと思っているんだけどね。でも要するに、あんたのお父さんがいるから、俺がいることができるんです。『阿賀に生きる』だって、あれだけ評価されたのは、先にしっかりした作品やそれを作った人たちがいたから。逆にどれだけ俺が、あなたのお父さんをうらやましく思ったか。

道中、丁寧に説明をしてくれる旗野さん

旗野:その当時俺がやろうとしていたのは、今までの運動スタイルの受け売りでしかなかったから。自分のスタイルというものが、全く見えない。それが、権瓶さんの奥さんが自ら命を絶って、それによってお袋の一言を得たということ。餅屋のジイちゃんのところで豆炭あんかを取り合いする関係ができたことから、肉親にも言われないようなことを言ってもらえた、とかね。参治さんも、相変わらずマイペースで全然変わらないから、こっちが折れるしかない(笑)。そういうことで、気づいていって。みんながびっくりするような特殊体質とか言われるけど、「えー、みんな周りのせいなのに」みたいなね。

1%の「シナリオがない」展開

旗野:振り返ると結構、色々やってきている。それでいい。今、市川新美さんっていう人が84、5歳で唯一頑張ってくれているんだけども。ようやっと新美さんともいい関係になってきたなって思うのは、嫌なことは嫌という話が、正直にできる。お互いにようやっと、解放されてきたなっていうのが、実感としてすごくわかる。

鼓子:なるほど。

旗野:「また騙したな!」って、いつも怒られるけど。いかに騙すか、みたいなやり取りが、微妙なんだけど心地いい。腹の探り合い、みたいなところもあるんだけれども。
これはすごい難しくて自分でも自信がないんだけど、新美さんとの関係で一番象徴的だと思っていることがあって。大学での講演依頼で、保健師さんが「当日はよろしくお願いします」の説得に来るわけです。秋ですよ。もうこたつが掛かっていてね、新美さんがさつま芋をおやつに出してくれた。それでまず「今年の芋の出来はどうだ」とか、世間話が始まる。なかなか本題に入らないから、保健師さんが「旗野さんそろそろ本題に……もう30分も世間話してますよ」って。俺は「まあ大丈夫だよ。芋食べなさい。食べ切らなかったらお土産にもらって、ね」とか言ってね。「じゃあ新美さん、日にちだけ確認すっけども、来週の何日ね」。そしたら新美さんが「え、オレはまだいいとも何とも言ってねえ」とか言う。「いやいやあの、ほらアレだよ。えっと~……」って一生懸命、どう言おうかな~と思ってさ(笑)。新潟大学で一番大きな、マンモス講堂でやるんだよ。それで市と合同だから、学生の他に一般市民も来て、とにかく何百人も集まるわけですよ。そんなこと言えないしさ(笑)。「あのさ、新美さん。板倉さんと二人でね、このお茶の間の雰囲気でやるからさ」「大丈夫だよね?ステージの上でこれと同じこたつ掛けてさ、お茶飲みながらやろう。それが主催者への、俺からの要望。是非頼むね。そしたら新美さん、アガッたりしないだろ」。
それで新美さんが「何人くらい来るんだかね?」って聞くから、「ウーン……えーっと、10人以上かな」とかグジュグジュ言って。

鼓子:ウソー(笑)!

旗野:保健師さんは「旗野さん、そんな言い方でいいんですか?」って。「ほら、この前千唐仁に来た、あの子ども達くらい(※)」「ああ、30人くらいだっけ?」「まあ……10人以上!」みたいな(笑)。

鼓子:あははは(笑)。10人以上(笑)!

※阿賀野川のほとりにある千唐仁(せんとうじ)には、昔からある虫除け地蔵さんの隣に、また別のお地蔵さんが安置されている。これは水俣川の石を彫ってつくられた「阿賀地蔵」であり、その対をなすものとして、阿賀野川の石による「水俣地蔵」が、水俣の百間(ひゃっけん)排水口前に安置されている。二尊のお地蔵さんを建立したのは、新潟と水俣それぞれの地で未認定患者の認定を求めて運動を展開していった、旗野秀人さんと川本輝夫さん。2006年には千唐仁のお地蔵さんを描いた絵本『阿賀のお地蔵さん』(WAKKUN、考古堂書店)が出版された。新潟の小学校ではこの絵本の読み聞かせや、実際に現地でお地蔵さんを拝し、当事者のお話を聞くなどの学習活動が行われている。

千唐仁に建立されているお地蔵さん
▲千唐仁に建立されているお地蔵さん。この隣に、昔からの虫除け地蔵がある。

旗野:で、当日。

鼓子:ヤダー……。

旗野:扉が開いて「ギャー!」。二人はもう、足が震えて動かない。俺は「ここまで来たんだから帰さないぞ!」って、背中押して(笑)。そしたら「旗野さん、騙したな~」って。

鼓子:ほら~。

旗野:もうガタガタ震えて。みんな座って待っているわけ。それで二人が並んで。反対側には水俣から、ほっとはうすと市役所の皆さん。そして向かい側にずらっと来賓、みたいなね。 最初に向こうから、話をする。それでいよいよこっちの番になった。さあて困った、まだ震えている。お茶がガチガチ、机も震えている。さすがの俺もこれはちょっと、いよいよ腹を括るしかない。もういよいよになったら自分が喋るしかないなと思って、「すいません皆さん。今日このおばあちゃん方を、俺は騙して連れて来ました。見てください、まだ震えが止まっていません。だいたい市も悪いよな~、こたつも用意していないし!」みたいに、ちょっと横ヤリ入れたりしながら(笑)、「語り部も嫌だし、こういうのも嫌だって言っている人を、俺は『10人以上だから』って騙して、連れて来ました。間違ってはいないですね、10人以上だし(笑)。でも、震えが止まらないほど二人は困っています」。
「話すのが、得意でも何でもない。要するに、みんなのおじいちゃんおばあちゃんと同じ。旗野に騙されてここに座らせられている普通の人が、実は水俣病になっちゃうんです。そしてそれが、見た目には非常にわかりづらいんだという話を、できたらいいなと思うんだけども……二人がどうしても喋れない場合は、私が代わって喋るしかありません。だけども新美さん、せっかく来たんだからどうだ?」って言ったら、「オレは何喋っていいかわからない!」って今度は怒り始めた。「新美さん、例のライスカレーの話。俺、あの話大好きなんだけどさ、あの話できないかなー」「あのライスカレーの話かね?あんなのでいいんだかね」って。オッ!やれるかな?もうひと押しだ(笑)!

鼓子:よっしゃあ(笑)!

旗野:ひょっとすると、いけるかも。「そうそう。孫が大好きなライスカレーの話。短くて簡単だし、いいんじゃないかね。いつも話しているし、あれ頼むわ」って言ったら、マイク取って喋り始めた。わ!感動~~!

鼓子:わはははは(笑)。

旗野:ヤッター!って……ライスカレーの話、聞いたことある?

鼓子:ないです。

旗野:新美さんのところは息子夫婦が共稼ぎだから、自分が畑やったり、賄いは全部しているんです。それで夕飯の支度をしていると、玄関から「ただいま」って孫が上がって来る。「バアちゃん、ありがとう。また僕が大好きなカレーライスだね」。孫がカレーライス大好きだから、「そうだぞ。今日もライスカレーだけど、ちょっと肉が足りないから、オレの指の肉入れといた」「エーッ?キャー!」って。

鼓子:ちょっと……。

旗野:感覚障害でね。実はカットバンを、指に全部しているんです。本当によく切るんだって。で、それをさ、「入れちゃった」っていう話をして。いよいよ夕食どき、和気あいあいでいつも喜んで食べる孫が、食べない。「どうしたんだ?」って聞いたら、「いや、今日肉が足りないからって、バアちゃんの肉が入ってる」と言う。「とっても今日は、食べられない」って言って、ベソかいている。息子は「バアちゃん、いい加減にしてくれ!そんなことないんだから」って。

鼓子:ブラックユーモア……。

旗野:そうすると、会場ではたいてい笑いが起きるんです。そういうふうに俺も、茶々入れたりするから。「でも、皆さん。新美さんの指を見てください。今日もカットバンしている。これが見えない症状の、唯一、見えるところ。確かに重症の人たちに比べると、新潟は軽い人が多いかもしれない。新美さんも、見た目にはわからないかもしれない。でも、そういう立場でありながら、被害の形としては間違いなく水俣病だという人もいるし、生活者の一人として毎日を必死に頑張っているんだ。皆さん笑ったけれども、それが現実なんだ。新美さんのところは、そうやってうまく暮らしているケースなんですよ。これが新潟の一コマ。だから、騙してしまったけれども、意を決してこの話をしてくれて、皆さんもすごく得したと思う」。
で、その後ろでは板倉さんが「次オレの番だ」って、ガタガタしている。だから「板倉さんほら、娘さんが就職するときのあの話……」って言ったら、「そんな話、できねえ。でも新美さんはしたしなあ」って。「大丈夫、大丈夫」って言ったら、やり始めてくれた。要するに、板倉さんの長女も俺と同じで、あの頃まだ集団就職の名残があって、中卒で東京に就職する。板倉さんはすごく頭も切れるし、器用だからパジャマなんかも全部自分で縫ったりする人。じゃあ最後のアレだからってんで、娘にパジャマを持たせるために、一生懸命、一週間くらいかけて縫ったんだって。ところが自分の計画では、もうとっくに仕上がってなきゃいけないのに、いくら頑張っても進まないし、出来が悪い。最後はもう、涙流しながら縫った。でも何とか間に合ったっていうか、「出来が悪いけど、持って行ってくれるか?」って聞いたら「いや、ありがたく使わせてもらう」っていうことで、娘は喜んで持って行ってくれた。後で考えたら、その頃から自分は水俣病になったのかもしれないって、板倉さんは言う。得意なことができなくなった。要するに自覚症状発症時期の話を、具体的にしてくれているわけ。だから、俺はその話が板倉さんらしい、いい話だと思う。「自分の話」なんです。でもそれも、なかなか見えない。そういう二人の、新潟らしい話をしてもらった。でも「本当に悪いことをしているんです、俺は。患者支援者なんて、とんでもない!いかに騙してここに連れて来るかということに、どれほど神経使っているか」って、そういう立場なんだということを、俺はバラしちゃっているわけですよ。で、二人は「もう二度と騙されないぞ」って言ってね。
この話のオチがまたね、俺は感動したんだけども。帰るとき、構内も広いから駐車場までちょっと距離があるんですよ。日が短いから、もう日も暮れている。「悪かったね、新美さん。特に夕飯がけ……」「いや、今日はもう夕飯準備してきたから大丈夫なんだ。……でも旗野さん、二度と騙されないから!」って。二人がもう、「本当に、まんまとしてやられた」とかってぐちゃぐちゃ言う。「すいませんすいません、二度と騙しません!」って、俺はずっと謝る。それで駐車場に着いて、車に乗り込もうとした二人が「でもアレだね、こんなことでもなければオラなんかの一生で新潟大学なんて、来る機会がないんだよね。冥土のみやげ、できたんだわね」って、振り返ってそういうふうに言ってくれるわけよ。散々「嫌だ嫌だ」と言いながら、でも、お陰様で新潟大学に来れた、冥土のみやげがまた一つできたっていう話を、ポロッとしてくれる……オッ!また騙せるぞ!

鼓子:いや、違う……(苦笑)。

旗野:ヤッター!

旗野住研事務所にて、インタビューの様子

鼓子:「やったー」じゃないよ(笑)。

旗野:ここがとても大事なところで、ひとつひとつの場面で、お互いに正直な気持ちが暴露されている。それでこっちも、その度にいつも問われているんです。「じゃあどうするんだ、お前?」と言われたときに、ギリギリ困っているんですよ。でも、本当に微妙な気持ちの変わりようで。新美さんも多分100……いや99くらいは「憎たらしい旗野」なんだけど、1は「まあ旗野さんも結構、切ながっているみたいだから、仕方ない……ライスカレーの話ならできっか」みたいな。ちょっと弱みを見せてくれたから、それに付け込んで(笑)。

鼓子:付け込んで(笑)。

旗野:そういう、お互いに正直に解放される展開が、聞き手も含めていかにできるかっていうね。そこにはシナリオなんかない。ハラハラドキドキなわけですよ。逆に言うと、何があってもOK、どんなことがあってもネタになる。いくら予報がお天気だなんていっても、雷鳴ってさ、雪が降るかもしれない。でも、それがネタになるわけですよ。自分が驚かなきゃ……いや、驚いてもいいんだけど。「あ、こんなこともあるんだね」って。

あの世の支援者が大勢いる

旗野:色んなことやってきたけど、気がついたら俺が付き合っているほとんどの患者さんは、水俣も新潟もみんな、あの世へ行っているわけですよ。あの世の支援者がどれほど大勢いるか。

鼓子・草児:(笑)。

旗野:不思議なもんで、困ると必ず、あの世からのお助けがあるんです。阿賀のお地蔵さんの絵本を作るときに、でもお金が足りない。そしたらある人が早めに退職するから「旗野さん、これはあげるんじゃなくて貸すんだからね」って、ポンと貸してくれたりとかね。いつ困っても助け舟というか、あの世の人たちが「ハタノはまだやってんのか?本当にまあ、死ぬまで治らないな~」みたいに心配して、困らないようにしてくれているというか……世間で言うところの「見守ってくれている」?自分には特別な信仰とかないんだけれども、「あ、ドンマイ!大丈夫!あの世で味方してくれる人が大勢いるんだから」って、勝手に信じている。でもそれで、どれほど勇気づけられるか。

鼓子:去年の『阿賀に生きる』上映会・九州ツアーのときもなかなか会場が決まらなかったり、うまく進まないことがあったけど、最終的にはポンポン決まって。その話を旗野さんとしていたら、「空で見ていてくれる人たちがいっぱいいるから、結局いつも大丈夫なんだよ!」って言ってくれて、すごく感動したんです。
私は水俣に帰ってから6年目になるんですけど、この歳にしては結構、色んな人のお葬式に出てきたと思うんです。帰ってから改めて出会った人たちが、すでにご高齢なので……。

旗野:ますます「送る仕事」が増えると思う。

鼓子:でも旗野さんは、もっともっと送ってきたと思うし。私の家に来たときも、真っ先にお仏壇に行って500円玉をポンと置いて拝んでくれて。その姿を見て「この人はたくさんの人を送ってきたんだなあ」というのを感じました。私なんかまだ腹が括れないというか、寂しくて仕方がない。もっと色々聞いておけばよかったと思うこともあるし、これからの10年でどれくらいの人を送ることになるのかと思うと、正直、怖いです。旗野さんはそういう寂しさとか怖さを、どう乗り越えてきたのか。自分の同志のような人たちを、どんな気持ちで見送ってきたんだろうと思って。

お地蔵さんを拝む旗野さん
▲昭和電工鹿瀬工場の先にあるお地蔵さん。栃木県渡良瀬川の石を彫って作られている。旗野さんの拝む姿は本当に自然体で、見ていてホッとさせられる。

栃木県は渡良瀬川の石を彫ってつくられたお地蔵さん

旗野:うまくは言えないけどね、死ぬっていうのは仕方がないことだと思うわけ。必ず逝かなきゃならない。それはかなり割り切っていて。
たとえば餅屋のジイちゃんが酔っぱらって「旗野さん、俺が死んだら毎日仏壇参りに来てくれるか?」って言うから「もちろん毎日行きますよ」って言ったのね。そしたらジイちゃん、間髪入れずに「本当にかね? 死んでしまえばわからない。本当に毎日来てくれるんだか?」って。だから「いや、本当に毎日来る。仏壇に酒をあげて乾杯する」って答えた。そしたらね、「本当にその気があったらもう一杯、今注げ」!

鼓子:ふへへ(笑)!

旗野:俺、この話すっごく好きなんです。「死んでしまったら人間なんかおしまいなんだ。本当にオメさんが来るかどうかなんてそんなこと、どうでもいいんだ」って。「その気持ちがあったら、今もう一杯注げ」って言うんだよ。そんでコップを出す。で、俺が注ごうとしたら、隣でバアちゃんが「そんなに飲むんじゃねえ!」って言って。

鼓子:ツッコミが入る(笑)!

旗野:要するに、そういうこと。現実的には確かに、死ねばお葬式をせねばならない。お盆になればお墓参りもある。でもジイちゃんがすごいなって思うのは、「日々を大事にしろ」って言ってくれることですよ。思想家だったらもっと違う言葉でうまく表現するのかもしれないけど。「今この瞬間、二人だけのこの時間を大事にしようぜ」っていうことを、わかりやすく教えてくれているんだな、と理解している。簡単に言えば「楽しく悔いのないように」。すごく好きな言葉のひとつです。

いつ死んでもいいように

旗野:まあ、わりかし見送るでしょう?そのときに……参治さんの場合は特にそうだったけど(※)、まず信じられないっていうことと、でもずっと前から覚悟はしていたっていうことの、両方がある。

※渡辺参治さんは2020年7月2日、天寿を全うされた。享年104歳だった。

今年『柳水園ものがたり』ができたときに、来年の仕事として『安田唄の参ちゃん』の復刻増補版を作ろう、と。参治さんの生い立ちが中心になっているから、その後20年くらいの「冥土のみやげ全国ツアー」で二人で歩いた話を後半に持ってきて、もうちょっとしっかりした本にしようって、里村さん(※)と話をしていた。「俺、予感するんだ。参治さんは来年までもたないかもしれない」って、半分冗談だけど半分本気で、4月の末に里村さんに話していたんです。「いつ死んでもいいように、準備しようね」って。

※里村さんはノンフィクションライター・エッセイストで、冥土連の専属ライターでもある。何度も現地に足を運び、耳を傾けて紡がれる文章は、丁寧で味わい深い。著書は『丹藤商店ものがたり』(2017年)、『柳水園ものがたり』(2020年)など。こちらもぜひ読んでほしい。お買い求めはこちらからどうぞ↓
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これ、本当は、とんでもない失礼な話。でも里村さんには、わりと真面目に話をしている。結果的にはそうなっちゃったけれども、でも望んでいたわけではない。ただ、覚悟っていうのかな、準備っていうのかな。死んだら死んだで、まさにその通り(冥土のみやげ)になるし、生きていても、参治さん含めて喜ばれる品物ができるはずだから。生きていても、死んでいても。でも死んでしまうと、もう読めないからね。そういう意味では餅屋のジイちゃんの「今もう一杯飲もう」というのが、非常に現実的な話。だから悔やむこともいっぱいあるけど、結局振り返ったら……。

渡辺参治さんのお墓に参る旗野さん
▲お地蔵さんに拝むのと同じような自然体で、渡辺参治さんのお墓にも参る。「参治さ~ん、つんちゃん連れて来たよ~」。

旗野:さっき言った復刻版と、もう一つは俺が今ひっくり返している写真を軸にして、2冊出そうねっていう話をしていて。最低でも毎月1回、編集会議という名の飲み会という集まりを作りまして。韓国家庭料理のいいお店でね、テーブルにパソコンを並べるわ写真を広げるわ、その間に料理を並べるわマッコリを飲むわ……。

草児:パソコンが壊れないか心配です。

旗野:飲み放題で、そのうち女将さんも加わったりね。仕事は、やっぱり楽しくやらないと。いくら追悼文集といって、参治さんがいないのは事実なんだけど、人はそれじゃ生きていけない。申し訳ないけど、人が死ぬっていうことも力にしていかなきゃならないと思うのね。だいたい参治さんなんか、毎年5月4日の追悼集会になれば、あの世から車椅子で下りてくるような存在だからね。死んでいるかどうかなんて、みんなあまり関係ないんですよ(笑)。そう思えば悲しいも何も、花火上げてもいいくらいでね。

鼓子:ああ~……うん。

旗野:悲しいと思えば悲しいんだけど、悲しくない仕掛けを作っていけばいい。

鼓子:そうなんですよね。

旗野:だから特に、参治さんの場合はいつ死んでもへっちゃらというか(笑)。

鼓子:心の準備をしてきた。

旗野:あの人はもう、考えなしだからね。「参治さん、もし俺が先に死んだら、葬儀委員長頼むよ」って言ったら「ハイッ!」って。普通はもうちょっと、「いや旗野さんの方が40年も若いんだから、そんなことないよ」とか言うのが年寄りのはずなのにさ。間髪入れずに「ハイッ!」なんて言うんだよ(笑)。それでみんなも笑うでしょ。あの絶妙な漫才がね、とっても好きで。
そんな二人だから、当然気が合ってさ。俺が一番好きなシーンはね、宴会でも参治さんは一滴も酒飲まないから、朝4時とかに目が覚める。俺は隣に寝ていて、二日酔い。参治さん、もうコッソリ唄っているわけよ。「トントントンッ」「それからどした!」みたいな感じでね。俺は急に思いついた。「参治さん、ちょっと悪いんだけど直立不動で」。で、立たせてシーツをグルグル巻いて、メガネをかけさせてから「みんな、起きろ~!」って起こす。「誰だ~?」って聞いたら、みんな「ガンジー!」って言うわけ。「ご名答!サンジ~!」(笑)。もうみんな、大爆笑。二日酔いの頭がスパーンと飛んでさ、「ハイではみなさん、テーマソングを合唱しましょう」「3時のあぁ~なたぁ~!」、って知らない?みんな知っている曲だから、当然また受けるんですよ。もう、みんなで大合唱して。

渡辺参治さん
▲「ガンジー」ならぬ、「サンジー」さん。歴史を証明する貴重な一枚である。(写真提供:伊藤芳保さん)

旗野:何が言いたいかって、要するに水俣病患者を酒のつまみにしているっていう、この支援者のあり方。絶対にあり得ないでしょう?患者さんをそんなして弄んで、本人も訳もわからず乗っかっちゃって、でも喜んでいるわけ。あはは!とか言って楽しんでいる。

経験して学べ!

草児:人が亡くなる。それを見送る。身近には甘夏のきばるを思い浮かべているんですが……亡くなっていくときに「ああ、何をしてやれただろうか」って、自分で勝手にその人の未練を思ってしまうんです。まして水俣病で大変だった。「この人の人生に楽しいことがあったろうか」って、ある種の決めつけをしてしまっている。それは僕の中にある、ステレオタイプなんですね。旗野さんたちの活動を見ていると、僕の考えていることはズレているというか、勝手に未練を想像するのは失礼じゃないかなって思うことが、最近よくあるんです。

旗野:えーとね、すごく難しくて。俺は正直、何と言っていいのやらわからない。その代わりに言えることは、はっきり「こうだ!」と言えないけれども、具体的にその場しのぎで思いついたようなことが、振り返ると結構、冥土のみやげになっている。だから、これから起きることみたいなのを相談されても困るっていうか……。

鼓子・草児:わはははは(笑)!

旗野:自分でもどうしていいやら、わからなくて、いつも困りながらやっていることだから。

草児:ああ~……。

旗野:でもそれは意外と、今まで話してきたことの本質かもしれない。あなた自身がそう思ってきたけれども、たとえば今回のインタビューを通してちょっと変わったり、影響を受けたりとか。逆に俺は今まで、色々試しても川本さんみたいにやれなかった。でも目の前の人たちがそれを軌道修正してくれたっていうか。それこそ冥土のみやげのきっかけもそうだけど、「え?風呂入ることが楽しみなんて、俺、気づかなかったのかな」って教えてもらったわけじゃないですか。「じゃあ行こう!」って。そうやって気付かせてもらった。みんな百人百様で、望むところも違うし、納得の仕方も腹が立つ原因も違う。だからそれは、なかなか答えとしては言えない。「そりゃ、あんたが勝手に経験して学べよ!」みたいな、ね。

草児:そうですね(笑)。

旗野:目の前にいる患者さんも多分、俺が目の前にした人たちとは絶対違うだろうし。水俣病の病像なんかも常々思うけど、百人百様のはずなのに、みんな勝手に自分らの都合で物差し作って選り分けるでしょ? だからあなた自身が、気づいていくしかない。

鼓子:旗野さんは、感覚がすごい柔軟な人なんだな、と思います。

将軍杉の前にて、ツーショット
▲昭和電工を案内してもらった帰り道。新潟が誇る三川の将軍杉前にて。柔軟さで言えば、旗野さんについていくと一事が万事、こんな感じである。
丹藤商店にて
▲前出『丹藤商店ものがたり』の舞台である、丹藤商店にて。むちゃくちゃ買い込む二人。

旗野:いい加減なんだ。

鼓子:「良い」加減なんですね。

旗野:いい意味で言ったら、こだわりがなくて、どんな相手でもドンマイ!何でもオッケー!みたいに振る舞える。悪く言うと、いい加減なんです。しっかりした人にとっては、とても「いやらしい人」なんでしょうね。

鼓子:いや、でもそこがねえ……?

草児:僕らはそこに勇気づけられます。色んなアプローチの仕方が、まだできるなって思える。

キューバの参治さん!

草児:『阿賀に生きる』を観たときもそうですが、希望をもらえたんです。映画や音楽にはそういう力がある。僕の親友が「映画は喜劇がいい」って、どうせ泣くなら喜劇で泣きたいって、ずっと言っていたのを思い出しました。

旗野:あー、なるほど。キューバのさ……何とか何とかクラブバンドって。

鼓子・草児:ブエナビスタソシアルクラブ(笑)!(※)

※ヴィム・ヴェンダース監督によるドキュメンタリー映画。ライ・クーダーとキューバの老ミュージシャンたち(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)との演奏を中心に、彼らの来歴、キューバの日常が描かれている。

旗野:それ言えねえんだよー!じゃあ観た?

草児:もちろん、観ましたよ。

旗野:俺、だいたい横文字とか苦手なんだけど、でもなぜかあれは観たんです。息子が借りてきたのを夜中に一人で観たのかな。泣いてしまってさ、感動したよ。「あ、冥土のみやげ企画を、世界でもやっている人がいるんだ」って。「あ、キューバの参治さん」!

草児:(笑)。いや、キューバの旗野さんもいますよ。

鼓子:いたいた、あの陽気な親父(笑)。

旗野:でもさ、本当にそういう世界でしょ?いい話が、ギュッと詰まっている。ただ俺はアメリカ嫌いだから、カーネギーホール目指すのはちょっとアレだけれども。でも、そんなのも吹っ飛ぶくらい、みんなとってもいい顔してさ。音楽、生きることの神髄が……何だろう。

草児:大好きなんですよ、あの映画。まさかブエナビスタの話ができるとは。

鼓子:同じだよね、でも。

旗野:あれ、本当に大好き。だから結局自分でも買ったよ。キューバっていうのも、ポンコツの車に乗ってさ、本当は暮らしは貧しいわけでしょ。でもみんな、楽しそうに生きているじゃない。それで、原点が音楽。それぞれが個性を持っていて、楽しげにやっている。あ~、いつの間にか世界中が資本主義とかグローバルとか、「お金が……」みたいに言っているけれども、こういう人たちがちゃんと生きて死んでいくんだな~。意外と、冥土のみやげ企画っていうのは世界中にいるもんだなって(笑)。

草児:ワールドスタンダード(笑)。

旗野:冥土連が好きだって言ってもらえるのは嬉しいんだけれども、あれもさ、うーん……「あって、ないようなもん」で。架空なんですよ、実は。でも、ないんだけどやっぱり、あるんですねえ。じゃあ組織はどうなっているんですか?っていうと、そんなものないんだよ、本当は。規約があるわけじゃない、会費があるわけでもない。

草児:ノウハウもないわけですね。

旗野:みんなが勝手に言って、勝手に何かやっていればいい。こだわっているといえばそうだけど、でもそんなに深いこだわりはない。

草児:「冥土連は七福神みたいだ」って最初に言いましたけど、話を聞いてますます、そう思う。見ていて愉快痛快なんです。

旗野:それでいいんです。うーん、正直に言えばさ……患者さんに失礼かな、みたいな時期もずっとあったんですよ。でも気がついたら一緒に遊んでくれているんだな。一緒に喜んでくれて。じゃあもっと自信持っていいんだな、と思った。だからずいぶん、おかしな歩み方してきたわね~。あれほど「川本さんのやりようを目指さねばならない」ところからスタートしたのに、どんどん横道に逸れて(笑)。

鼓子:でも水俣から見たら、それがうらやましくて。

旗野:それもすごく、わかる。でもそもそも、川と海の違いくらい、違うんだから。雪が降る、ちょっとしか降らない。日本酒を飲む、焼酎を飲む。暮らしぶりから生き様から、いちいち違うんですよ。

頭で考えると色々大変なこともあるけど、まずは目の前に具体的にある「あ、これならできる」っていうことをやる。そしたら実際「こんなに喜んでくれるんだなあ」っていうことで、教えられるわけです。水俣の事情もよくわかるけれども、やっぱり苦しむしかないし、悩むしかない。そこから、自分のスタイルを見つけ出すしかないんです。だから「冥土連やれば?」なんて、絶対言えない。

鼓子・草児:(笑)。

旗野:そんなの、口が裂けたって言えないよ(笑)。

旗野住研作業場にて、ツーショット

(終わり)

あとがきに代えて

それこそ僕が小さい頃、百間排水口前で川本さんと共に一番札所としてお地蔵さんを建立された旗野さんを、その場で見ていたはずではありますが、不思議と記憶がありません。「あ、この人が例の……」と改めて意識したのは4年ほど前。川本さんの咆哮忌で酔っぱらった二次会のメンバーをガイアに迎える、その中にいわゆる「ハタノさん」はいました。2月の甘夏がクソ忙しいさなか、唐突に「草ちゃん、なあに真面目に仕事なんかしちゃってんの!こっち来て一緒に飲もうよ~」と言われて、少しだけイラッとしたのを鮮明に覚えています。
してみると、僕もやはり「マトモ」な人間の部類に属するのでしょう。
そんな僕ですから、割り切れない話はできるだけ避けたい。数字のケツはピシャリ揃えたいし、よくわからない現象があれば、無理矢理にでも自分の理解できることがらの範囲内に引き込みたいのであります。ただ一つの解でもって安心感を与えるその顔はときに、「正義」と呼ばれることがあります。時世にしたがい、そういう傾向が自分の中でもどんどん大きくなっているようです。

だからこそ、今、旗野さんに会いたかった。

喜びと苦しみがわかち難いほどに絡み合う、白黒はっきりつけることの方が難しい人間の「生」を、浮き彫りにする。それがハタノ流人生賛歌です。その感覚は、旗野さんの口から出てくる「いい話」の細部から、痛いほどに汲み取ることができる。紙面の都合上大幅にカットした部分を、今回ウェブ版にて掲載しなおしました。メソッドもハウツーも書かれていない垂れ流しの文章を、ぜひ読んでほしいと思います。そしてどこかで一度、旗野さんに会ってほしい。「どっちの言い分もよくわかるんだよな~、難しいよな~。まあいいや、とりあえずカンパーイ!」とサッポロ黒ラベルをあおる旗野さんは、ある意味、徹底してリアリストであります。その「いい加減さ」に戸惑いながらも、どこか肩の荷がおりたような気持ちになるのは、僕だけではないはずです。楽になったその肩に次は何を背負うか、それは僕ら次第です。
見送り方も、見守られている感じも、僕にはいまだにわかりません。それでも、「悔しかったら年とってみな」という旗野さんの言葉に発奮させられ、まずは生きてゆきたいと思います。

「必要」は自らつくり出さねばならない場面が、確かにあります。新潟(そして金沢)行きについてはかなり迷いもありましたが、移動や滞在中を通じて僕らなりに細心の注意を払ったことを、最後に申し添えたいです。