【第9回】今でもまだ、やり残した感がたくさんあります


\ 対面シリーズ /

この特集は、僕たちの人生を僕たちの足で踏みしめて歩んでいくための基礎体力を得るべく、方々への対面を勝手に企画しているものです。



\ 今回の語り手 /

和島香太郎(わじま・こうたろう) さん

1983年、山形県生まれ。映画作りを志し京都造形芸術大学へ。卒業後、テレビドラマ『東京少女』『先生道』などの演出を手がける。2008年、文化庁若手映画作家育成プロジェクトに選出され、35ミリフィルムによる映画『第三の肌』を監督。12年、短編『WAV』がフランス・ドイツ共同放送局arte「court-circuit」で放送。また詩人・黒田三郎の詩集を原作とした短編『小さなユリと/第一章・夕方の三十分』がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭短編部門にて奨励賞受賞。14年、初監督作『禁忌』が劇場公開。その他、脚本を担当した『欲動』、『マンガ肉と僕』が釜山国際映画祭、東京国際映画祭に出品。新作『梅切らぬバカ』が、今秋公開予定である。好きな食べ物は南インドカレー。

梅切らぬバカ(2021年11月12日公開予定、和島香太郎監督作品):
山田珠子は、息子・忠男と二人暮らし。毎朝決まった時間に起床して、朝食をとり、決まった時間に家を出る。庭にある梅の木の枝は伸び放題で、隣の里村家からは苦情が届いていた。ある日、グループホームの案内を受けた珠子は、悩んだ末に忠男の入居を決める。しかし、初めて離れて暮らすことになった忠男は環境の変化に戸惑い、ホームを抜け出してしまう。そんな中、珠子は邪魔になる梅の木を切ることを決意するが……。
(公式ウェブサイトより)

(https://happinet-phantom.com/umekiranubaka/)
映画の情報は、こちらからチェック!

\ 聞き手・編集 /
高倉鼓子、高倉草児


まえがきに代えて

初めて和島さんにお会いしたのは、映画『風の波紋』の水俣上映があった2016年、上映後の打ち上げの場だったと記憶している。そのとき和島さんは私に「僕、てんかんなんです」とおっしゃった。私は酔っ払っていたこともあって、文字通りキョトンとした顔で「そうなんですね!」と答えた気がするが、頭の中では「てんかんってどんな病気だっけ……」と考えていた。てんかんについて無知だった私は、病気についてよりも、自身の病を初対面の私に話せる和島さんのことが気になったし、何だかすごいと思った。

そのとき和島さんは「てんかんをテーマに作品を撮りたい」とおっしゃっていたのだが、のちに『ぽつラジオ』というネットラジオを始められた。もちろん私は、リスナーになった。

ラジオの中ではてんかん患者やその家族、友人、職場の仲間などなどが、自由に意見を交わしていた。日常の些細なことから、悩みや困りごと……病の話が中心ではあるが、病にとらわれすぎていないその雰囲気がいいな、と時に眠りながら聴いている。

そんな和島さんの監督作品『梅切らぬバカ』が、めでたく、今年の秋に全国上映されることとなった。自閉症の「ちゅうさん」を塚地武雅さんが、母親の「珠子」を加賀まりこさんが演じている。皆さんにも、お近くの上映館でぜひ観ていただきたい。

病に対する偏見や差別は、今の世にも確実に存在していて、私自身にも少なからずある。その自覚を持ったうえで、病や障害とどう向き合い、ともに生きるのか。私だけでなく全ての人の課題だ。 優しいけれど、冷静に世の中を見つめる和島さんは、対面の中で「ささやかな変化を見たい」と言った。さて彼のこの在り方は、作品の中でどのように表現されたのだろうか。ご覧になっていただければ嬉しい。和島さん、これからも応援しています!

(高倉鼓子)


(6月11日、ガイアにてZoomによるオンライントーク ※以下敬称略)

情勢を鑑みて、Zoomによる対談を行った。写真右側のPC画面に映るのが、和島香太郎さん(色味が悪くて申し訳ありません……)。したがって今回は写真がありません。テキストを心ゆくまで味わってくだされば幸いです。

鼓子:まずは、おめでとうございます~!

和島:ありがとうございます。映画が無事に、完成しまして。

鼓子:映画『梅切らぬバカ』を構想し始めたのは、どのくらいからだったんですか?

和島:2018年の1月から、『だってしょうがないじゃない』(※2019年公開、坪田義史監督作品)というドキュメンタリー映画の編集をしていたんです。広汎性発達障害と診断された男性が、ご両親が亡くなった後自宅で一人暮らしをしていて、その彼が自立というか、いろんな人に支えられて過ごしている様子を描いたものなんですが……何十時間という膨大な映像素材があって、それを全部チェックしていた。でもそこに出てくるのが、遠いところから来る親戚とか、福祉関係の人たちとかばっかりで。近隣住民の方たちが、意外なほどに映っていなかったんですね。

実はこの映画の主人公(まことさん)は、ご近所さんとトラブルがあって。いろいろ苦情も届いている、ということは監督から聞いていて、最初は「そんなもんか」という感じで捉えていたんです。そのまま映画は完成してしまったんですが、自分の中には「このままでいいのかな」というモヤモヤがあって……映画を作ったことによって両者の間にある深い溝に気づいたのですが、その問題が自分の課題として残ったんですね。

ちょうどそのタイミングで、長編のフィクションの企画を募集するコンペティションのお知らせが届いた。『だってしょうがないじゃない』では、お隣さんにカメラを向けることすら許されませんでしたが、でもフィクションだったらそういう部分……たとえばお隣さんとの関係が描けるのかな、と。ドキュメンタリーで直面したその問題に対して、フィクションという形であれば表現ができるんじゃないかな、と思ったんです。それで最初の企画書とかシナリオを作って、とりあえず送ったらギリギリ通過しまして。そこからシナリオを本格的に書き始めた、という感じです。

草児:シナリオっていうのは、現実に取材されたものを落とし込んでいくわけですか?

和島:そうですね。最初のシナリオなんて全然取材ができていない段階でやっていたので、やっぱり甘いところがあったんですけれど。その後は、自閉症のお子さんと一緒に生きているお母さんとか施設の方とか、いろんな人に会いに行ったり、シナリオを読んでもらって感想を聞いたりということを続けました。 本当にいろんなケースがあるので、綺麗に落とし込むっていうことは、とても難しかった。今でもまだ「本当にやれているのかな?」って、やり残した感がたくさんありますけど……でも、取材は大事にしていました。

フィクションか、ドキュメンタリーか

鼓子:和島さん自身は、ドキュメンタリーを作りたくて映画監督になられたんですか?

和島:元々フィクションをやりたくて、映画監督を志したんです。でも最初にフィクションをやっていたら、うまくいかないことがたくさんあって……「ああもう、イヤだなー」と思って映画から離れていたときに、「ドキュメンタリー映画の編集をしてみないか?」って声をかけてもらったんですよ。

鼓子:そうなんですね。

和島:その仕事が終わって初めて、フィクションだからこそ撮れる映画への期待が、自分の中から湧いてきた。もちろん、ドキュメンタリー自体はすごく面白いんだけど、やっぱりフィクションをやりたいなって。それでもう一回挑戦してみた、という……。

鼓子:ドキュメンタリーとフィクションとでは、撮るときの姿勢って大きく違うものですか?フィクションの方が、自分が設定を作ってその台詞を喋ってもらっているわけだから、予期せぬことがないというか。ドキュメンタリーの場合は、その登場人物に委ねている部分も大きいですよね。

和島:フィクションも、そのシナリオを書いていく過程は、ドキュメンタリーに近いところがあるような気もします。実際に取材をしたりしながら、どんどん、自分の思いがけない方向に進んでいく。役者さんとの話し合いでラストが思い切り変わったり、とか。うまく言えないんですが……シナリオを作る段階では、いろんな意図しない流れに対して、自然に身を任せるような感じで。

もちろん発端の部分、今回で言えば障害のある人の住まいをめぐる問題や町の人との関係みたいなところは、大事にしているんですが……自分の想像とは異なる現実を、そのまま受け入れてまた作っていくという姿勢。これはドキュメンタリーから学んだことだったので、それを経験した者として大切にしながら、フィクションを作りたいと思ったんですよね。でも両者の違いについては、正直言って、まだ明確に答えられないです。

鼓子:『だってしょうがないじゃない』を観た人の感想は、どんなものだったんでしょうか?

和島:基本的には、まことさんに対する好感ですかね……。ただ近くから見たまことさんのことを知らないと、彼らの日常っていうのはまだ本当には見えてこないのかな、という感じもして。だからもう少し、身近にいる人と話をしたいと思ったんですよ。それができなかったので、余計に思いがあるんだろうなあ、と。

鼓子:身近で一緒に暮らしていくとなると、いいことばかりじゃないですよね。

和島:『梅切らぬバカ』では、隣家の中にもカメラが入るんです。苦情を言わざるをえない隣の人が、どんな日常を送ってきたのか。そういう部分を描きながらも、主人公である珠子と忠男の関係を映画の中で見せるっていうのは、すごく難しかった。バランスを取ろうとすると、うまくいかないし。フィクションだからそういう難しさにも挑戦できると思っていたけど、実際やってみると「どうやって描きわけるんだろう?」っていう……。シナリオを書きながら混乱してしまうことが何度もありました。

草児:日常って、描くには複雑すぎますよね。単純に二項対立で見せるという方法もあるけど、実際は濃淡があって、いろんな立場がある。あちらの実情というのは、こちらからはなかなかわからない。実は今回シナリオを読んで、鳥瞰図というか、俯瞰的な見方というテーマを想起したんですが……。

和島:そうだと思います。それが自分の中で今、引っかかっているところなんですよ。

草児:僕が僕である限り、自分の足で立っているところからものを見るしかない。映画を作るうえで、自分の意図がどこか入ってしまうという心苦しさもあるのかなあと……。

和島:ドキュメンタリーでも、監督の意図っていうのはすごい反映されてしまいますし。それはフィクションでも同じことやっているなあと思いましたけど……。

鼓子:和島さん自身がすごくバランス感覚のある人というか、いろんな立場を想像したり、配慮したりとかをされる方だなあと思っているんです。

和島:そのバランス感覚が、何かね……もっと偏っていてもいいんじゃないかなあって。

鼓子:へへへ(笑)。

和島:語弊があるかもしれないけれど、いろんな人に気を遣って作るということが、本当に作品にとっていいことなのかなっていうのは……。映画を観てくれた人からも「まあ、和島さんがいい人なのは出ているよね」みたいなことを言われて、「全然褒めてねーじゃん」と思って(笑)。

草児:いい人って言われると、辛いですよね。

和島:でもやっぱりそれは、ちょっとわからない。答えは出せないし、無自覚に誰かを傷つけているかもしれないことへの恐れもあります。

鼓子:それが和島カラー。

草児:それで全然いいと思います。

ケアを地域にかえす

鼓子:和島さんは今回、自閉症の方を主人公にして撮られたわけですが、ご自身はてんかん患者じゃないですか。その、てんかん患者を主人公にしなかったのは、なぜでしょうか?自分に一番近い、当事者として気持ちがわかる主人公の方が描きやすかったんじゃないかな、とも思ったのですが。

和島:まず今回は、障害を原因とする地域住民との軋轢と融和を描きたかった、というのがあったんです。僕のてんかんは薬で発作を抑えられたりするので、お隣さんの力が必要だったりっていうのが表現しづらいな、と思っていて。

ケアを地域に課す、地域ぐるみで見つめてケアしていくということを考えたときに、自閉症の方のご家族の場合、受け入れてくれるグループホームがなかなか見つけられないという状態があったりする。そこでは町の人との関係性がとても大事になってくるのかな、という感覚が自分の中でも大きくあって。だから、自閉症の方のこだわりを見つめながら、個人と町との結びつきも表現したかったというのが大きいです。

鼓子:なるほど。

和島:村瀬孝生さんという方が福岡にいて、お年寄りを支える宅老所を運営しているんです(※)。でも宅老所の職員だけで老人たちを見ることに限界を感じ、「地域で老いを見守る」活動を始めたそうです。

印象に残っているのは、住宅地図の家をピンクとブルーで色分けしている話。ピンクの家の人柄は暖かくて、ブルーの家はそうでもない。だからピンクの家に積極的に声をかけて、宅老所から脱走したと思われる老人を見かけたら、電話をしてもらうようにしたりとか。コツコツと地域にケアをかえしていく、その試みがいいなあと思った。その村瀬さんの講演を聞いたことが、今回とても教訓になっています。

※村瀬孝生さんが関わっておられる「宅老所よりあい」については、下記URLリンク先よりご覧いただけます。
http://yoriainomori.com/sample-page/

草児:ちょっと大げさな言い方ですが、病とか症、これは一つの禁忌というか「隔離され閉ざされたもの」というイメージを生みますよね。本当はどういうものなのかわからないうちに、排除してしまう。僕自身の内にも、わからないものは遠ざけたいという心理があることを痛感しているんです。そのあたりの感覚を少しかき混ぜたいという意図が、この映画にあるのかなと、勝手に汲み取っているんですが……香太郎さんはご自身が持っているてんかんを含め、どう捉えていますか。それは病気ですか?

和島:病気として捉えています。その上で、病名で隔たりが起きてしまうっていうことは、ラジオでいろんな患者さんの話を聞きながら感じている部分だったんですよ。なので今回『梅切らぬバカ』は、どれだけ効果があるかわからないけども、脚本の中に自閉症という単語は一切入れずに作ったりとか。映画の説明なんかには出てきますけど、本編では「ちゅうさん」という愛称が身近な人たちに広まっていくようにしました。

夜の帳に「ぽつ」が積もる

草児:そう、『ぽつラジオ』(※)も聞かせていただいたんです。いいですよね。僕、ピーター・バラカンが好きで。やっぱりラジオという媒体が素晴らしいな、と。

※てんかんを聴く ぽつラジオ(Youtube、Podcastにて展開中):
ぽつラジオは、てんかんと付き合いながら生活をしている人たちの思いを発信するネットラジオです。患者さんに限らず、そのご家族、恋人、友人、職場の同僚、医療従事者などをお招きして、それぞれの立場からてんかんの問題について話していただいております。流暢に話す必要はなく、その名の通り、ぽつりぽつりと呟き始める場所です。
(公式ウェブサイトより)

(https://potsuran2017.wixsite.com/potsuran)

和島:ありがとうございます。

草児:作業しながらでも聴けるし、それこそ、意図せざるものが勝手に耳から入ってきちゃう。ぽつラジオについて言えば、一つは多様性を前提としている気がします。てんかんという共通項はあるんだけれども、「あ、こんな症状があるんですね」とか「お酒飲むときはこういう事に気をつけていますね」とか、意外とお互いに知らないこともあって、そこをぽつりぽつりと、ざっくばらんに語り合っていく。香太郎さんにあまり司会進行する気がないのも、いいと思います。

和島:もう、聞いている人が途中で寝てくれたらいいなあ、みたいな(笑)。

草児:始めたきっかけは、何かあるんですか?

和島:あれは……映画も何もうまくいかなくて、ものを作る気力がなかったときに始めたんですけど。その当時は、夜、瞼を閉じるといろいろ悩んで眠れなくて。でも、ラジオをかけていると眠れたんですよ。ラジオにかなり救われた感じです。

同じ時期に、悩みを主治医(てんかんを診る精神科医)に相談していたら、「同じ患者さんに会いに行って、いろんな話を聞いてみたらどうですか?」って。だから、いろんな患者さんに会いに行ったんです。そしたら聞く話が全部、とても面白い。いろんな人にこれを聞いて欲しいなー、って思った。それで「ラジオで録って発信していきませんか」という提案をして、始めたんですよ。それこそ、聞きながらそのまま寝てくれてもいいし。眠れない人の役に立てれば、みたいな感じ(笑)。

草児:症状について話すということは、ご自身を含め、辛いことではないですか?

和島:最初は言葉にすること自体をけっこう避けていたので、怖いなあと思っていました。でも、その瞬間は確かに辛いんですけど、言葉にすると逆に安心できるっていうところがあって。他の患者さんでもそう思ってくださる人は多いです。

ただ同時に、やっぱり話したくないというか「話せない」という人もいて。聞くだけの人もいますし。それは全然、そういうものだと思う。むしろその「話せない」っていうことに……「話したら楽になるよ」みたいな感じでずっとやってきたけど、そろそろ、なぜ話せないのかという部分にちゃんと向き合わないとなあ、と思っています。

鼓子:和島さん自身がカウンセラーみたいになっていませんか?

和島:いや僕は、ただの患者(笑)。

鼓子:テーマというか、意図みたいなものを和島さんはあまりラジオに持ち込まないですよね。

和島:そうですね。作ってやるときもあって、それはそれで聞いていて面白いなと思うんですけど……多分、話す人が好きに話したらいいんだな、と思います。それを聞いていると、教えてもらうことがすごくいっぱいある。逆に「これについて教えてください」って言うと、別のものが聞けなかったりするから。

鼓子:そうですよね。

和島:それが本当に聞きやすいラジオになるのかどうかは別として。話をしてもらって、話した人が楽しかったらいいのかなと。

ウォーク。ドント、ラン

草児:それは考え方として、映画の作り方に通じるものがありますか?わかりやすいところに落とし込まない意図、というか、迂回するというか……。

和島:うーん……。

草児:シナリオに落とし込もうと思っても一筋縄じゃいかないんだよ、みたいな感覚を普段感じておられたりしますか?

和島:そうですね、何か……普段の自分の話し方からして回りくどい話し方をしているな、とは思っているんですけど。そういうのってけっこう、自分のラジオや映画にも出ているんだろうなー、って。断定できないというか……何なんでしょうね?

草児:何なんでしょう?で終わる話を、もっとたくさんやっていいと思うんですよね。普段の仕事では帳尻を合わせないといけないけど、世の中って本当は割り切れない話ばかりじゃないですか。

和島:僕は「決めつけたものは必ず覆される」と思っているんですよ。最初はあまり決めつけないようにしたい。自分なりに気をつけてはいるけど、でもやっぱりどこかで決めつけているんですよね。

それが覆されたときに感じる「気持ちのよさ」みたいなもの、これは映画を作ったりする中ですごく経験してきた部分で。いろんな人の意見とか視点によって「全然見え方が違うんだよ」みたいなことは、どこかいつも気にしているんです。

草児:今回映画が公開されていろんな視点からフィードバックがあったとき、それが「香太郎くん、そこは違うよ」みたいなことであっても「ご馳走様!」という感じですか。

和島:そうですね。観る方の反応にビクビクしてはいるものの、自分の固定観念が覆されたり、偏見に気づかせてくれるような指摘を受けると爽快です。今作っているものが次につながっていくので……1個作るとたくさん得られる、というのはありますね。いろんな人が観て、意見を言いやすいような発信の仕方を大事にしていきたいと思っています。

草児:ちなみにぽつラジオは、生放送ですか?

和島:あれは収録です(と言ってクッキーみたいなものをいきなり食べ出す)。

岩井俊二と、僕らの青春

草児:この『病と障害と、傍らにあった本。』(※2020年、里山社)の中にある、香太郎さんの寄稿を読ませていただきました。

和島:ありがとうございます。

草児:岩井俊二が好きなんですか?

和島:もう、神様でしたね。

草児:わははは(笑)。『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』とか、そのあたりも……。

和島:奥菜恵、ですね。

草児:大好きですよね、やっぱり。

和島:映像やっていると、岩井俊二を踏み絵に使われたり……。

鼓子:踏み絵?

和島:美術予備校みたいなところに一時期通っていて、面接で「君はどういう映画作家になりたいんだ」と聞かれたので「岩井俊二みたいになりたい」って答えたら、「だからお前みたいなのはダメなんだよ!」みたいに言われて2時間ぐらい説教されたことがある。

鼓子:すごい、嫌な感じ(笑)。そんなに?

和島:「岩井俊二は2人もいらねえ!」みたいな。

草児:僕らも岩井俊二が好きになって「打ち上げ花火はやっぱり下から見たかった」っていうクチです(笑)。

鼓子:何やそれ(笑)。

草児:「リリイ・シュシュは俺だ」みたいになっちゃうんですよ。

鼓子:なるんだ。

草児:なるんだよ。

鼓子:みんな経るんだね、そこは。

草児:リリイ・シュシュでは「エーテルが流れている音楽って何?」ってね。

和島:ああ、そうだ(笑)。

草児:ありましたよね?ビョークとエリック・サティとドビュッシー……僕、全部好きですからね!

鼓子:何そのドヤ顔……知らんがな!

和島:高校生のとき『リリイ・シュシュのすべて』を観るためだけに、山形から東京に日帰りで行ったんですよ。

鼓子:やば……センチメンタル……!

和島:期待していた映画と違っていたので、落ち込みながら帰るみたいなのを高3のときにやりました。

草児:素晴らしいです。

鼓子:青春ですね……何の話だっけ?

草児:同世代だっていう話ですね。

鼓子:えーと、14歳になるときにはもう「映画監督になろう」って決めていたと、前にお聞きしたことがあります。

草児:それは岩井俊二と出会ったからですか?

和島:どっちが先だったかな……映像はやりたくて、でも「俺、誰についていけばいいのかな?」ってずっと思っていたんです。それで、TSUTAYAのビデオコーナーをずっと見ていたんですよ。

鼓子:師匠をそこで探すんですね(笑)。

草児:安くないですか(笑)。

和島:監督ごとに分けられたコーナーがあって、「誰を師匠にしようかな~」って。日本にいるわけないしな、と思いながらずっと洋画の方を見ていた。

草児:ゴダールとか、いっちゃったんですか?

和島:いや、キェシロフスキっていう。

草児:まったくわかんない。

和島:ポーランドの映画監督なんですよ。で、キェシロフスキを観ていたんだけど……ある日、日本のコーナーの一角に何かすごい素敵なパッケージのビデオが並んでいて。手に取ってみたら、岩井俊二だった。この人、脚本書いているし、監督も編集もしている。こんな自分の思い通りに好きなことをやっている人がいるんだ……「師匠じゃん!」って。

鼓子:単純(笑)。

和島:そのあたりから、いろいろ観始めて……。

草児:だって、元々は野球少年だったんですよね?

和島:そうです。プロ野球選手になろうかな、と思っていた。

草児:マジですか!そこの転換は、おそらく岩井俊二だけが原因じゃないですよね?

和島:えー、何でだっけな。でも、そんなにスポーツ好きじゃなかったんですよね。

鼓子:はあ〜(笑)?

草児:ちなみにどこを守ってたんですか?

和島:僕はノーコンだったので、ファーストでした。

草児:いや、野球やっていてノーコンっていうのはちょっと(笑)。

和島:最初はキャッチャーだったんですけど。ピッチャーに返球するときにいろんなところに投げてしまって、ピッチャーが疲れるっていうので、ファーストに(笑)。

鼓子:面白すぎる。

「何でサボってんの?」

草児:山形で育った環境っていうのは、一言であらわすと、まあ田舎ですか?

和島:田舎ですね。日本海側の酒田市っていうところなんですけど。

草児:うちもそうですけど、映画観るのもひと苦労ですよね。

和島:本当に。寂れた映画館で大作が上映されているくらいで、ミニシアター系の作品はビデオ化を待つしかなかった。なので『リリイ・シュシュのすべて』を観るために東京に行ったわけです。

草児:ポレポレ東中野、とか?

和島:ポレポレって主にドキュメンタリー上映ですよね?その当時、ドキュメンタリーっていうのはまだ観ていなかった。大学に行っても「佐藤真って誰?」みたいな。

草児:そうだ、佐藤真監督は京都造形芸術大学におられたんですよね。じゃあそれまでは全然……?

和島:お会いしたのは大学が初めてです。佐藤さん、入試の面接官だったんですけど。見た目が映画監督っぽくなくて……映画監督じゃないと思っていたんですよね。だから「誰だよ?」って。

草児:いやいや(笑)。

鼓子:何っぽいんですか?私、お会いしたことなくて……。

和島:何か、評論家っぽい感じかな。

草児:神経質そう、ってことですか?

和島:いや全然、朗らかな感じです。映画監督って、何ですかね?サングラスかけていたり……。

草児:セーターを羽織っていたりとか。

和島:ちょっとオシャレな感じがする。それがでも佐藤さん、普通のおじさんなんです。普通の大学の、講師のおじさん。「この人、誰なんだろう」とずっと思っていたんだけど(笑)。佐藤さんだったと後から知った、という話です。

草児:授業も、実際に受けておられるわけですよね?

和島:僕が入ってすぐ佐藤さんはロンドンに留学しているので、入れ違いで。佐藤さんの授業をちゃんと受けられたのは2年生の後期くらいだったんです。といっても、けっこうサボっていて。でもあるとき「何でサボってんの?」って声をかけてくれた。そのときの印象がすごくよかったんです。「いい人だなあ」と思った。

草児:何でサボっていたんですか?

和島:いや、寝ていたんですよね。

鼓子:寝ていた(笑)。

和島:山形からいきなり京都に行って、あまり友達ができなかったんですよ。授業に出ても劣等感みたいなものがあって、最初の頃はすごい居心地が悪くて。佐藤さんってそういう、一人で所在無さげにしている人なんかを見つける人じゃないかな、っていう感じがしました。ぽつんとしている人を見ると、何かこう、話しかけたくなる人なのかなって。今振り返ると、そう思います。

鼓子:そのときすでにもう、佐藤さんは『阿賀に生きる』を作って……。

和島:そうですね。『阿賀の記憶』もこれから作る、みたいな感じのときだった……作っていたのかな。

鼓子:佐藤真さんのことは、当時気になって掘り下げたりとかしたんですか?

和島:図書館に行って、佐藤さんの映画で『まひるのほし』っていうのを観たりとかはしたんだけど……そんなにすごい佐藤さんにハマるっていう感じではなかった。でも信頼していました。自分が作るもののことで悩んだりすると、相談しに行ったりして……佐藤さんの言葉が自分の中で忘れられないというか、すごい鋭いことを言うんですよね。信頼していたからっていうのもあると思うんですけど、卒業するときは佐藤さんに手紙を書いたりした。

鼓子:へえ~!

草児:手紙を書くっていうのは、なかなかできないですよね。

和島:それこそ、卒業制作をDVDにして渡すときに「東京に行きます。こういうことをやっています」みたいなことを。他の先生にも渡したけど、それに対して返事をくれたのは佐藤さんだけだったりして。それでまあ、ちょっとして亡くなられたという……。

鼓子:じゃあ、師匠っていう感じではないんですね。

和島:そうですね。よく「佐藤さんは恩師なんですよね?」って言われるけど、俺けっこうサボっていたしな……って(笑)。でもね、佐藤さんが亡くなってから、佐藤さんの本、すごい読んだ。亡くなってから、すごい学んだ。

ささやかな変化、抜け落ちてきた話

鼓子:和島さんは、大きな声で訴えることをされないですよね。私の周りには主張の強い人が多いんですけど、そのエネルギーに憧れつつも、であるがゆえに生まれる対立や、埋まらない溝みたいなものを感じることもあります。

もちろん、意思を強く持てるのはすごいことです。でも、もうちょっと違うフェーズに行けたらいいなっていうのを思っているときに、和島さんのぽつラジオを聞いたりすると「うらやましいな」と感じるんです。いろんな人がいろんな話をしやすい空気を、和島さんが作っている。どこかに導こうとか、これが何かのかたちにならなきゃいけないとか、そういったことを決めていないおかげで話せることがあるんだろうなって。水俣でもそういうことができないかな、と思って。

草児:水俣病って、これまではどうしても「ぽつ」じゃあ語れなかったと思うんです。圧倒的な意見に対抗するためには、それに耐えうる力、大きな声を持たなきゃいけない。ぽつぽつ語っていたら間に合わないというフェーズが確かにあった。

ただ、良くも悪くも時代は変わって、いわゆる中核にいる当事者と言われていた人たちが、みんないなくなっちゃうんですよね。その後に残った人たちはじゃあ当事者じゃないのかというと、そういうわけでもない。「薄いところにいる僕らが何を語れるだろうか」っていうのは、けっこうな課題として僕らの中にあります。

鼓子:そういう場の作り方というか姿勢は、どこから来ているんでしょう。もともと持っている和島さんの素質だとも思うけど、親の影響とかありますか?

和島:えっと、身近なところで活動されている方がいるというお二人の環境とは、本当に対照的なところで育っています。テレビなんかを通してしか、そういう活動とか見たことはなかったですし。

まず、声は小さい方だと思うんですね。それがあまりいいことだと思ったことは、ないんですけど。てんかんの中でもそういう運動、活動をずっと続けている人たちがいて、それはとても重要なことだったと思うんですよ。てんかん患者が得られなかった権利を得てくれたりして。彼らが変えてきたことによって、今僕らがすごく生きやすくなっているということも、確実にあるんですよね。そこにはすごく感謝しているんです。

同時に「カメラや人前に立つ人」というイメージからしか、てんかん患者の問題が見えてこないな、っていうのも思っていたんです。限りがあるというか……てんかんの場合、「自分は顔は出せないけど、社会に対して伝えたいことっていうのはたくさんあるんです」っていう人に、僕は出会ってきたんですよね。僕も今はてんかんっていうことを開示していますけど、なかなか言えないで抱えているっていう人の気持ちもわかるので。たとえばラジオだったら、その人が顔を出さずに、匿名で想いを伝えられるんじゃないか。「もう少しいろんな人たちの想いを届けられるのかなー」って思いながらラジオをしている感じですけど、これは答えになっているんでしょうか……(笑)。

草児:大丈夫です。

鼓子:いろんな人たちが抜け落ちているかもしれないと感じるからこそ、「場」の必要性を感じています。何か訴えることがないと話しちゃいけないみたいな空気じゃなくて、もっと自然に話を聞ける場があるといいな、と……私たちが、たとえば患者さんにインタビューで何か聞くとなると、どうしても「聞き取り」になっちゃうんです。

草児:お題目があって、その上での聞き取りになりがちですね。

鼓子: インタビューを成立させたい思うと、どうしてもわかりやすさを優先してしまいます。

草児:てんかんも自閉症も、もちろん水俣病もそうでしょうけど、既存のイメージをまず壊すというか……本当はもっといろんな人がいるんだ、と。水俣病でいえば、ハンター・ラッセル症候群という基本がある。そこを突き詰めたおかげで動いてきた歴史があるわけですが、その枠から逸脱する話が抜け落ちてきたということと、表裏一体なんですよね。だから僕らの中に変に患者像を作りすぎると、日常の複雑さが反映されない。それは「危険」という言葉であらわしてもいいんじゃないか、と最近ようやく思うようになってきたんです。

魔法ではないけれど

草児:てんかん自体をあまり話題にせず、ここまで来ましたけど……香太郎さんなりに「てんかん」というものを自分のこととして調べて、その上で病名変更を考えていると伺いました。

和島:理由は、大きく二つあるんです。一つには「てんかん」という病名が今、ひらがなで表記されているじゃないですか。ひらがな表記に至った経緯というのは、漢字で書くのが難しいということもあるとは思うんですが、特にてんかんの「癲(てん)」に「狂う」という意味が含まれていて。今で言う、「障害」の「害」をひらがなにするのと同じような感覚で病名をひらがな表記に変えた、ということが背景にあるんですよ。それによって何かこう……問題を隠しているような病名になってしまった。これが、自分が持っている違和感の一つです。

それに対して「ひらがなで書いても含まれる意味は同じだから、病名自体を変えた方がいいんじゃないか」というのが、いろんなところから出ている意見ではあります。でもそれ以上に「てんかん」というものが、そもそも何を指しているかわからない名前だな、と思う。「ひきつけを起こす」と「意識不明になる」、この二つの意味を漢字で組み合わせたのが「癲癇(てんかん)」という病名なんですけど。ラジオを聞いていただくとわかると思うんですが、てんかんの症状は本当に発作が多様なんです。主な発作が、視野にあらわれる視覚発作だけの人もいたりする。つまり病名と乖離した症状を持っている人が、少なくないんですよ。であるがゆえに病名に違和感を持ってしまう、これが二つ目の理由です。

その違和感って、いろんな人の話を聞く中で生じてきたもので。もうちょっと……すべての患者さんにとって納得のいくような病名というのは難しいかもしれないけど、そういう方向に向かってもいいのかなと思っています。てんかんの影響で事故が起きたとき、ひらがな4文字の「てんかん」という病名だけがメディアを一人歩きして、結局何だかよくわからないまま、差別的に扱われたりもする。だから、わかりやすくした方がいいんじゃないのかな?と思う反面、わかりやすくしたことによってどういう問題が生じるのかなとか、いろいろ考えたりもしていて。今はたくさんの人から意見というか考えを聞かせてもらっている段階です。

「病名を変えよう」みたいな運動って今まで何度も提起されているんですが、そのたびに「病名を変えても世の中から偏見が消えるわけじゃないんだよ」という返事があるだけで、結局何も進展しなかったという歴史があって。別に僕も、病名を変えたからといって、魔法みたいに全てが改善されるとは思っていない。ただ病名を変えることで、ちょっとでも自分の症状を伝えやすくなる人が増えたりとかすればいいなとは思います。まあでも、いろんな問題があって変わっていないという現状ですね。

鼓子:「偏見が消えるわけではない」というのは、変えなくてもいい論拠としては弱いですよね。でもなぜそのような雰囲気になってしまうのか、不思議です。

和島:たとえば精神分裂病が統合失調症になったプロセスっていうのは、家族会から病名を変えようという要望が出て、それを日本精神神経学会に提出して、学会がそれを受け入れて最終的に病名を考えて……という感じなんですけど。

鼓子:はい。

和島:てんかんの場合、2014年に日本てんかん学会が病名変更の是非を検討する方針を固めました。ただ、学会の会員の半数以上が、病名変更に関するアンケートで否定的な意見を示したんです。患者や家族の中から出てきた願いが、医師の根拠不明の反対意見によって却下される。この状況はどうなんだろう、と思います。

鼓子:謎ですね。

和島:他の病名は変わっているのに、何でてんかんだけがそんなに変わることを嫌がられるのかなって……自分の中で、いまいちピンと来ない(笑)。まあ、ひらがなにしたことによって、拒絶反応を示す人が少なくなったというのもあると思うんですよね。

鼓子:ひらがなにしたことで落ち着いたでしょ?みたいな空気ですか。

和島:違和感みたいなものが、麻痺させられているというか。てんかんってどういう漢字で、どういう意味が含まれているのかって考える人すら、もうそんなにいないですよ。だから「うまいことやってんなー」っていう(笑)。ちょっと悔しいんですよ、考えないようにさせられている感じが……。

草児:何でしょうね。てんかんという一枚看板の裏を見るには、いろいろやらないといけないのかな。

鼓子:ロビー活動じゃないけど、お医者さんたちへの働きかけみたいなものは……。

草児:社会的な声が大きくなれば、看過できなくなるでしょうね。

和島:まあ、お医者さんの中にも「変えた方がいいんじゃないか」ということを言う人はいます。でも少数派ですね。

小さな一歩を踏み出したい

鼓子:面白いと言ったら語弊があるかもしれませんが、てんかんを診るお医者さんから発せられる「病名を変えても偏見がなくなるわけじゃない」という言葉が、水俣では逆に患者側から出ることがあるんです。

「水俣病」はそれこそ、お医者さんによって名付けられ、すでに教科書やあらゆるものに定着しています。実際に変えるとなったときに、過去のものをどう扱い、どうリンクさせていくのか……被害者が「水俣病」に認定されることを求めて闘ってきた歴史や、チッソを支持する市民らによって病名変更が訴えられてきた背景を見ると、とても複雑で。地域の名前が病名になるのはあり得ないとわかってはいるのですが……。

つい最近『「水俣病」は差別用語』(※入口紀男著 2021年、自由塾)という本が出版されて、著者は病名を「メチル水銀中毒」に変えるべきで、世界人権宣言や日本国憲法に基づくならば「水俣病」は差別用語だ、と主張しています。正論だと思います。でもやっぱり題名が……「水俣病は差別用語」というのは……。

草児:センセーショナルですよね。

鼓子:何でその題名にしたかな?って思う。その丁寧さが欠ける部分が、私はすごく気になって。まずこれを見たときに患者さんがどう思うか考えてから書いて欲しいっていうのはすごく思うし、どこまで患者さんの話を聞いて書いたのかもわからないし……。

草児:このウジウジした感じを、伝えたいんですよね。

鼓子:そう(笑)。

草児:病名変更の是非で言うならば、実は「別に水俣病でいいんじゃない」と思っている自分もいます。それは僕自身に、被差別の実感がないからですね。でもそう言う人もいるんだっていう、ちょっとウジウジした気持ちが起こると、「じゃあとりあえず話し合ってみようか」ってなる。そういうところに行くまでが大変なんだな、というのは思います。センセーショナルに言うと……。

和島:そうですね。

草児:何というか、小さな一歩が踏み出せないですよね。

鼓子:和島さんはそこを踏み出して、「話し合う場が必要だよね」とおっしゃっているんですよね。必ずしも「変えるんだ!」っていう感じではなくて、変えたときにじゃあ「実際どんなデメリットがあるんですか」とか、ちゃんと聞かせて欲しいという……。

和島:まったくいいことばかりではなく、デメリットもあると思うんですよ。それは変える前に、話し合ったうえで知っておきたいと思っていて。複雑なのは、てんかんって国際的には神経疾患という部類で扱われている病気なんですけど、日本の行政区分としては精神疾患なんです。精神疾患として扱われてきた歴史があって、それゆえに受けることのできる福祉支援なんかが今、あるんですよね。精神障害者保健福祉手帳をもらったり、自立支援医療を受けられたり。医療費の自己負担が減るとかいうのは、そういう精神疾患区分に位置付けられているから受けることのできるサポートなんです。

新しい病名を考えるとなると、それはおそらく神経疾患の観点から考え直されると思うんです。でもそのときに、もしかしたら精神疾患の区分からてんかんが外されてしまうかもしれない。するとそういったサポートが受けられなくなるんじゃないか、と懸念している人もいて。僕もそれを懸念しています。だから他にも、いろいろあるだろうと思っている。患者さんにとっても、お医者さんにとってもデメリットはあって……だから、ちゃんと出しておかないとダメだ、って。

草児:一筋縄じゃいかないんですね。

和島:まあでも、精神科医もてんかんを診ることができて、それゆえに救われている患者もいるんですよ。

鼓子:なるほど……!

和島:精神症状を伴うてんかん発作もあるので。だから僕の主治医もそうなんですけど、精神科医が診ているというよさも、おそらくある。病名一つ考えることで、いろいろ見えてくるなって思います。僕もわからないことがいっぱいあるなあ、と。わからないことは本当に、どんどん見つけていって、そのうえで進めていきたいんですけど……なかなか今、人が集まったりとかできないので。時間がかかりそうだなと思いつつ、単純にもっと僕が勉強しなくちゃいけないっていう。

「これまで」と「これから」の、橋渡し

鼓子:いや~、私自身も「水俣病のままでいいじゃん」って言っちゃうと、そこで思考が停止しているんですよね。そこにこだわる自分が何なのか、まだ突き詰められていなくて。もっともっと、いい議論をするためには、やっぱり学ばないといけないですよね。

草児:おっしゃる通り、勉強って大変ですよね。30代後半過ぎてから「勉強しろ」って言われると、「うーん」って思っちゃう。「いや、俺の人生ではこうだったよ」みたいに、自分の経験論で語りたくなっちゃっている(笑)。いかんところではあります。

鼓子:すでに。早い(笑)。

和島:経験も、大事ですよね。

草児:まあ、ライフワークですよね。

和島:精神分裂病だって、学会が病名の見直しを決めてから統合失調症に変わるまで9年くらいかかっていますからね。

鼓子:そうなんですか。

和島:てんかんは、まだそれが受け入れられてもいないから。10年、20年くらい……そこから新しい病名が浸透するまでにまた10年……まあそのとき僕はもう、現役を引退して。

鼓子:何の現役(笑)。「あのとき和島さんが立ち上がったおかげで……」みたいな(笑)。

草児:変わるものは何でもいいけど、変化があって、その変化を土台にさらに次の世代の人が、また新しく考え続けていく。言ってしまえば「先送り」なんですけど、その都度いろんな人が吟味して、物語が終わらない。「問題提起が終わらない」っていうのが理想ですかね。

和島:今の患者さんの中には「今さら病名が変わったって、浸透するまで時間がかかるし意味ないよ」って言う方もいるんですけど、これからてんかんになる人たちもいるわけですから。その人たちの負担っていうのは、今の患者が軽くしていけると思うんですよね。

鼓子:なるほど。

和島:そういう視点って、すごくいいなと思っていて。今自分がてんかんと言っても大きな不利益を被ることがないのは、これまでの患者さんの活動の積み重ねがあるから。そういう自分が、今度は何ができるのかなって……まあ病名だけじゃないですけど、でも負担はどんどん無くなってほしいな、と。病名を言っただけで就職に不利になったりとかする状況は、もうちょっと無くなったらいいなとか、いろいろ思います。

お医者さんはお医者さんにできることを、薬を開発する人は開発する人でできることをやって、患者は患者で、ってそれぞれ少しずつ何かできたらいいと思うんですけど……病名に関しては、みんなが立場を超えて話し合わないといけないなっていうのは思います。

鼓子:うんうん……ありがとうございます。

和島:すみません。もう何言ってんのか、わかんなくなっちゃった(笑)。

鼓子:いやいやいや!和島さんは「うーん、どうだろう?」って考えたり悩んだりしているのをそのまま出してくださるので、すごく共感します。

草児:今回インタビューの目的の一つは、香太郎さんが醸し出す独特の「間(ま)」を、どう文章にあらわして伝えられるかというところにあって。

鼓子:ポツポツポツ。

草児:ってしたら、それだけで字数が増えるからどうしようかな(笑)。この間が、大事だと思うんです、本当に。

鼓子:わじ間(ま)!

草児:おあとがよろしいようで。

(終わり)

あとがきに代えて

「ご意見ください」という一文を添えて、届いたシナリオ。それが『梅切らぬバカ』でした。先行して読ませていただくという作業をつうじて接点を得たものの、面と向かって香太郎さんと会話をしたのは、今回が初めて。そう、このシリーズは「鼓子は知っているけど草児は知らない」というパターンで始まることが多いのです。

人を知るには少なすぎるその機会の中で、それでも香太郎さん「らしさ」に触れた気がしました。その要諦は、会話が途切れた瞬間に立ち上がる「……」という間(ま)であり、そこに含まれるためらいや戸惑い、沈思黙考する時間軸であったと思います。そしてそれらは、これからを生きる僕らにとって大切な感覚であると同時に、僕らの力不足によって編集の過程で記事からこぼれ落ちてしまった類いのものであります。皆さんにはぜひ、映画を観てその「こぼれ落ちてしまった類いのもの」を肌身に感じ取っていただければ幸いです。

「実際どうなんですか」という問いかけを閉じぬままに、ウジウジしながらも、未来を生きる人たちへ手渡していく。「喧嘩下手だね」と評される僕らの、オルタナティブな喧嘩は、まさにここから立ち上がります。

さて今回付けた、タイトル。ちょっとネガティブすぎやしないか……と、香太郎さんに提案したところ「やり残した感を噛み締めながら、人と関わったり、ものづくりをしていきたいです」と即座に返してくださいました。その言葉に光明を、見出さずにはおれません。

(高倉草児)