真実の科学を。

真実の科学を

対面シリーズ……この特集は、僕たちの人生を僕たちの足で踏みしめて歩んでいくための基礎体力を得るべく、方々への対面を勝手に企画しているものです。

今回の語り手:赤木洋勝(あかぎ・ひろかつ)さん:
1942年(昭和17年)生まれ。鹿児島県枕崎市出身。68年に厚生省国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)に入省。カナダ国立科学研究所の客員研究員などを経て、81年、環境省国立水俣病総合研究センターに赴任。2001年に水俣で開催された第6回国際水銀会議では組織委員長を務める。各国での水銀分析技術研修や調査、共同研究多数。04年退官後、水俣市袋地区に「国際水銀ラボ」を設立し、現在に至る。好物はカキフライ。

聞き手:高倉鼓子、高倉草児……ガイアみなまた職員

(2020年2月15日、国際水銀ラボにて)

まえがきに代えて

水俣病の原因が、チッソ水俣工場の廃液に含まれる高濃度のメチル水銀であることは周知の事実だが、そもそもメチル水銀とは何なのか。その機構に私が興味を持ったのは「水銀に関する水俣条約」が発効した2017年以降である。そこから、世界各地で未だに水銀汚染の問題があると知った。足元の水俣湾埋立地が、今なお暫定的な処分場でしかないということも理解した。
無機水銀がどこでどのようにメチル化されるのか。どれぐらいできて、その後どのように動いていくのか。この研究を語る上で欠かせないのが赤木洋勝先生の存在だ。赤木先生は「水銀」一筋で研究を続けて来られた。総水銀、メチル水銀の系統的分析法を確立させ、簡便かつ正確に測定する「赤木方式」を10年がかりで完成させた。低コストでできるため、世界各地の水銀汚染調査で「Akagi method」が採用されている。先生が水俣に来てくださったことは、私たちにとって、世界の人々にとって、幸運なことだった。

風の噂で「赤木先生の体調が優れない」と聞いたのは今年1月のこと。すぐにインタビューを申し込んだ。今聞かなければ、という想いだった。薬の副作用がある中、貴重なお時間をいただいた。先生は優しいけれど、その眼光は鋭く、厳しい。根拠と論理を重んじる姿勢に、科学者とは斯くあるべきと教えていただいた。また、先生との対話は、感覚を優先し、理を蔑ろにしてきた自分自身の不明を恥じる時間となった。

真実の科学とは何か。カキフライを食べるたびに、先生の言葉を思い返しては、咀嚼したい。

(高倉鼓子)

金山のそばで育つ

国際水銀ラボにて
▲赤木先生の研究室(国際水銀ラボ)。様々な器具が置いてある。

赤木:私の故郷は、枕崎市の金山町(※)なんですよ。

※枕崎市金山町には「鹿籠金山」という金鉱山がある。江戸時代に開発され、江戸末期から明治・大正・昭和の戦中まで栄枯盛衰を重ねてきたが、今は休山状態となっている。
「鹿籠金山せっと節」鹿児島県公式ウェブサイト(参照:2020年3月11日)
https://www.pref.kagoshima.jp/ab10/kyoiku-bunka/bunka/museum/shichoson/makurazaki/kago.html

鼓子:金山が身近にあったのですね。

赤木:身近なんです。世界中の金鉱山が今、グローバルな水銀汚染減として注目されているでしょう。なぜかというと水銀を使って金を取り出しているから、水銀汚染が起こる。汚染源としては、金鉱山がトップですよ。だから水俣条約(※)に繋がるんですよね。非常に端的に、繋がっている。

※2017年8月16日発効。正式名称を「水銀に関する水俣条約」といい、水銀によるリスク削減のための法的拘束力のある文書を制定したもの。
「水銀に関する水俣条約の概要」環境省公式ウェブサイト(参照:2020年3月11日)
https://www.env.go.jp/chemi/tmms/convention.html

鼓子:枕崎の金鉱山では、水銀被害はなかったのですか?

赤木:金を取り出す際に水銀が使われていても、水銀汚染の歴史、また今日的な問題と比べればその量は微々たるものでした。それに地理的にも川は急流だったので、地域的にそれはなかった。

草児:何歳くらいまで枕崎におられたのでしょうか?

赤木:生まれは満州ですが、両親とともに引き揚げてから18歳まで金山で育ちました。そこは特殊な集落で、皆武士なんです。だから、よそ者の集まりですよね。

草児:順番としては、金が出るから武士たちが住み始めた、ということですね。

赤木:そうです。金鉱の技術者たちですけれども、島津藩の直轄地で、武士を名乗らせた。複雑なのは、「あそこはこういう家柄だった」とか「関所だった」とか、あるいは殿様だったというようなことがあるんですよ。

草児:ヒエラルキーのようなものが残ると?

赤木:そうですね。だから規律というか、とても整然としてはいますよね。当然そこから市長が出るとか、議長が出るということになる。威張ったりする者も中にはいたりして。そういう、一般社会とはちょっと違ういびつなものを見て育っているところが、私自身にある。
戦中戦後は全く金採掘の話はなくて、それより農業をやったり、食べる方が先でした。金(きん)を持っていたって誰も買い手がいないですから。

草児:むしろ物々交換のような状態ですね。

赤木:食べ物って大事ですよね。これほど大事なものはない。引き揚げ者は大変な生活でした。我々は土地があったから、開墾すれば何とかなる。それで山を開墾して、まずは豚を飼って肥料を作った。もちろん養豚もします。鹿籠(かご)豚という、鹿児島のブランド豚の走りだったんですよ。あとはお茶だったり、焼酎用も含めてカライモは当然作りました。枕崎には「白波」という焼酎がありますよね。

故郷を出て

鼓子:枕崎を出たいという気持ちは、元々あったのですか?

赤木:何か仕事を探して、ということはないですが、出なきゃという気持ちはありましたね。土地を持っていたら長男として継がなければということはありましたが、今すぐにではない。いずれ年を取ったら、とは思っていたんです。

草児:18歳で故郷を出られてからは……。

赤木:色んな人に世話になっていたので、たくさんの意見を聞きましたね。柔道をやっていたため体力はあったし、特に元海軍の伯父さんから強く勧められたこともあって、まずは防衛大学校を受けました。でも二次試験で身体検査があって、どのみち目が悪かったので「これで落ちるんだろうな」というのは初めから分かっていた。だから一次のテストは通ったけど、二次はもう受けなかった。

草児:その後はどうされたのですか?

赤木:薬学の方へ。まあこれも、みんなの意見を聞く中で決まったのですが。うちの親父が日赤病院で、病院の建築士をやっていたんですね。母親も満州の最前線で従軍看護師だった。

鼓子:ご両親は満州で出会われたのですね。

赤木:満州の日赤病院で。二人とも日赤病院の社員だったんです。

鼓子:じゃあ医学の世界は身近というか……。

赤木:やたらと薬の話をするなあ、と。知り合いの薬剤師からは「薬剤師になれ」とも言われた。何だかね、日赤病院のスタッフというのは、家族のような一体感があったんですよ。

鼓子:ご両親から特に薬学の勉強を勧められたわけではない。でも、身近にそういった環境があって志されたということですね。

赤木:薬学をやろうということで大学を受けようと思ったら、受ける場所がなかったんです。要するに、理系を取ってくれるようなところがなかった。それで仕方ないからというので、岐阜にいた日赤病院のスタッフさんが「俺のところから通えよ」と。岐阜薬科大というところですね。見てみたら、文系より理系科目の方が配点が高い。もう全く理系の学校ですよ。「ああ、これだ」と思って。

草児:元から理系の勉強が好きだったのですか?

赤木:偏っていたんでしょうね。国語は日本語だから何だってできると思っていたんですが。だから「まんべんなく勉強しなさい」と言われる今の若い人たちとは、違いますよね。

草児:大学ではサークル活動とかされていましたか?

赤木:誘われるままに、軟式テニスをやっていました。

鼓子:スポーツマンなんですね。薬科大学を出て厚生省へ就職というのは、ふつうは……。

赤木:ないですよね。

鼓子:先生は、どうして?

赤木:その辺は面白いですよね。ただ大学院で環境衛生学を学んでいたので、そこから厚生省に行くという道筋は、必然的なものでした。それに薬科大学の中にも厚生省から退職してきた人たちがいて、その人たちの話を聞いているうちに「この現場も面白いかもしれないな」と思ったんですよ。それで1968年、国立公衆衛生院薬学部の研究員に採用されたんです。

水俣できちんとやっていれば

草児:ご自身の中に研究テーマというのは?

赤木:学生の頃からあったのは、水銀のことです。

草児:水俣病をすでに知っていて?

赤木:もちろんです。

草児:故郷の金山のことが頭の片隅にあり、一方で水俣病のことがあり、それが重なって決めたということですか?

赤木:というよりもまあ、自然に決まっちゃったという感じですかね。いろんな人の意見を統合すると「こっちに行ってほしいんだな」という、要望みたいなものを汲み上げたところが多かった。

鼓子:でも時代としては1968年が水俣病公害認定の年(※)ですし、公害問題に日本が力を入れていかなければならない時代の、まさに最先端におられたということですよね。

※熊本県水俣湾周辺と新潟県阿賀野川流域で発生した水俣病の原因に関しては、昭和43(1968)年9月26日、政府の統一見解が発表された。すなわち、熊本水俣病については、「チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程中で副生されたメチル水銀化合物が原因物質である」と断定し、新潟水俣病については、「昭和電工株式会社鹿瀬工場の同様の工程で副生されたメチル水銀化合物を含む排水が中毒発生の基盤となっている」とした。そして、水俣病はこれらの工場から排出されたメチル水銀化合物が魚介類に蓄積し、その魚介類を継続して多食した住民に生じた中枢神経系の疾患であると結論づけられた。
「水俣病の悲劇を繰り返さないために −水俣病の経験から学ぶもの−」環境省国立水俣病総合研究センター公式ウェブサイト(参照:2020年3月20日)
http://nimd.env.go.jp/syakai/webversion/houkokushov3-1.html#chap013

赤木:結晶体として抽出することで原因がメチル水銀だと見当がついたのは、1962年のことなんですよ。公害認定は画期的な出来事でしたが、その前に原因が分かっていたにも関わらず、なぜこんなに時間がかかってしまったのか。1965年に新潟水俣病が阿賀野川流域で発生したことが、公害認定の大きなきっかけになっていますよね。

鼓子:そうですね……だから、1965年以降なんですね。

赤木:あれがなかったら、状況は全く違っていたでしょうね。

草児:でもそれがよかったのかどうか……。

赤木:原因が究明され公害認定に至ったのは絶対によいことだと思いますけれど、阿賀野川流域で生きる人々にとっては、本当に不幸なことでした。

草児:その前に水俣できちんとやっていれば、ということですよね。

赤木:ただ公害認定に至るまでもそれ以降も、やっていないことがたくさんあった、というのが実情でした。私もその頃は就職したばかりで、遠くに住んでいたこともあって状況が分からないんですね。水俣湾の実態は、どうなっているのか。水銀はあるのか、ないのか。あるとしたらどれくらいか。そしてそれは今後、どういう動き方をしていくのか。解明されていないことの方が多かった。だから、その分析のための手法開発に着手したわけです。
周囲から見れば「何でいきなり水俣に来て、そんな研究ができるんだ」と思われるかもしれませんね。もちろん簡単なことではありませんし、開発には10年を費やしました。でも初めから水俣に入ったのではなく、まずカナダにおける水銀汚染の研究プロジェクトに参加したこと(※)が、私にとって大きなベースとなっています。それがあったから、水俣湾実態調査のための分析手法開発に取り掛かることができた。そういう意味では地続きというか、私の中では自然な流れなんですよ。

※1970年頃にカナダで水銀汚染が確認された。水俣病に症状が似ているため、日本からも専門家が調査に参加。赤木先生は水銀や農薬汚染の分析手法研究に関してのそれまでの功績が認められ、1976年~78年の2年間、カナダ・オタワ川の水銀汚染研究プロジェクトに参加している。

メチル化のからくり

赤木:私自身の研究のスタートとして、まずは光の問題からやりましょうか。(元素記号を書き始めて)これがメチルマーキュリー。そして、このフォトケミカルというのが、光化学。トランスフォーメーションとは、変換ですね。そしてマーキュリーサルファイド……サルファイドって、ものすごく安定なものと言われているでしょう。

鼓子:はい、硫化水銀のことですね。

赤木:硫化水銀。こんなに安定なものはない、と。でも光に対しては不安定で、ボロボロになるんです。黒い物質というのは幅広い波長の光を吸収するので、吸収したエネルギーをどこか他の物質に移すことで、電気状態が元に戻らず壊れていく。それはつまり、電子を渡すということですよね。単純なことですが、電子を放出するんです。そして中の物質が変化して壊れていく。これが、水銀がメチル化するにあたっての科学的な根拠になっています。「硫化水銀が光によって変化します、しかも水の中でメチル水銀になる」という、すごいタイトルで論文(※)を書いたんですよね。

※赤木先生は1976年「水圏における水銀化合物の光化学的変換」というタイトルで学位論文を書かれた。これにより岐阜薬科大から、薬学博士の称号を授与されている。

草児:結局この硫化水銀に光が当たって形が変わることで、メチル水銀になる。そういうことですね。

赤木:そうです。ここにはからくりがあって……(化学式を書きながら)例えばこれ、酢酸ですね。酢酸はCH3COOHと書きます。ここから炭酸ガスが抜けると CH3(※メチル基)というものが残りますよね。これは光で簡単に分かれちゃうんです。このCH3がラジカル(※不対電子を持つ原子や分子のことで、不安定で反応性が高い)なので、ここに水銀がつくとメチル水銀ですよ。簡単でしょ?

化学式を書きながら説明
▲化学式を書きながら、丁寧に説明してくださった。

鼓子:本当だ、すごくすっきりしていますね 。CH3に Hg(※水銀)がついて、メチル水銀になる。

草児:この水銀というのは、自然界にある水銀ということですか?

赤木:ええ、これは自然界にあるものですし、無機水銀(※硫化水銀)です。これはどこにでもありますね。宇宙をぐるぐる回っています。まあ、こんな形でメチル水銀ができた。これは光による反応で、できるんです。

草児:それはつまり、普遍的な危険性ということですか?

赤木:そうです。

草児:論文としては、それこそラジカルというか……。

赤木:グローバルな話。

草児:ショッキングですね。

赤木:ラジカルそのものです。メチルラジカルという名前からして、活性があるでしょ。固体の物質があって、黒いものだと硫化水銀ですね。これが光を吸収する材料として、存在する。光を吸ったもんだから、その周りに付いている物質がエネルギー伝達を受けて壊れていく。そういうプロセスなわけです。科学って、とても面白いんですよ。だから、壁を作らないでほしい。

鼓子:すみません(笑)。最初から言っちゃいましたもんね(※)、「壁があります」って。

※このインタビューの前段で、草児が赤木先生に対して「どうしても科学というものに対して壁を作ってしまう自分がいる」という内容のことを話した。のっけから申し訳ありませんでした。

はじまりは一本の小瓶

草児:なぜこの研究に至ることができたのか、というプロセスに興味があります。

赤木:光が関与するかしないか、なぜ分かったかというと、そのからくりは25g入りの小さな古い試薬瓶にあったんですよ。この瓶の中にびっしり、乳白色の酢酸第二水銀という無機水銀が、未開封の状態で入っていた。
東京は港区、白金台の高台に公衆衛生院という古いレンガ造りの8階建ての建物がありました。ここの3階に私の実験室があって。当時は研究費もあまりなく、設備を含め限られた状況の中でやるしかなかったのですが……そこにこの小瓶を持って来てくれたのが、当時の部長さん。私が25歳のときに60歳だったので、いい爺ちゃんですよね。今から考えれば60というのは若いけれども。その人が「これを持って来たよ」と。ラベルが読めるの?というくらいに古い、いつ買ったのか分からないようなやつです。よく読むと「酢酸第二水銀」と書いてある。それを見たら、(絵を描きながら)この部分にですね……黄色の着色があったんです。

酢酸第二水銀の黄変を発見

草児:酢酸第二水銀というのは、だいたいは白色なのですね?

赤木:ええ。この辺の、表面だけが黄色く光っている。中身は酢酸第二水銀。白色の無機体の結晶型ですから、まあ本当は白というよりも無色です。要するに透明感があるわけですよ。ところがこれが黄色くなっていた。黄変しているのであれば、物質が変化しているはず。多分、光だろうと考えた。

草児:何かの物質に変わっていると予想されるから、そこにスポットを当てて……。

赤木:ええ。黄色く変わっているのは、なぜか。あるいは加水分解ということもあり得る。両方あるかもしれないが、どちらかだろう、と。これは、調べる必要があります。

草児:とても面白いと思うのですが、これ、部長さんはたまたま別の研究に使う薬剤として持って来られたのですか?

赤木:私が「持って来て」と言ったから、探してくれたんです。

鼓子:酢酸第二水銀を使う必要があったということですか?

赤木:いや、無機水銀が必要だった。

草児:でもそれが古かったというのは、たまたまですか。「古いのを探してくれ」と言ったわけではないですよね?

赤木:ないない。古いのしかなかったんです。

鼓子:面白い~!(笑)

草児:そうすると、これを「古いから」と捨ててしまうこともできたわけで……気になって、残して調べたら最終的に繋がっちゃったと。すごい分かれ目ですね(笑)。

赤木:分かれ目ですよね。何でこの人がこれを見つけて持って来たのかっていうのは……役に立つと思ったんでしょうね。

草児:結果的には、ものすごい役に立ちましたよね。

鼓子:赤木先生も、そこで「光」というテーマを……。

赤木:いや、どちらにしても光はやろうと思っていたので。

鼓子:そうなんですね。光はまずやろうと思っていた。けれども最初からもう、光によって黄変したかもしれないものが、目の前に現れたという。

草児:飛んで火に入る夏の虫ですね。

赤木:しかもその中に入っていたのが、メチル水銀だと分かった。入っているはずのないものが入っている。メチル水銀が入っているというのは、想像もつかないでしょ?

草児:それを発見したとき、どんな気持ちでしたか?

赤木:「あー、何か見つけた」という感じです。

酢酸第二水銀の黄変を発見

鼓子:見つけた。

赤木:何か見つかった。原因は光かなって、半分は分かったようなものですよね。

鼓子:そうですよね。多分、ご自身の中でも光が重要だということが分かっておられるからこそ、この出来事にも反応されたのだと思うし……ほれ見たことか、ではないですけれども、「やっぱりな」というところでしょうね。

草児:このときに捨てるか、それとも着眼点を置くか。その姿勢には科学者ならではのものがあると思うのですが。

赤木:ああ、多分ね……でもここで捨ててしまっていたら、まあイチからやるでしょうね。遠い道のりだったでしょうけれど。

鼓子:時間がかかったでしょうね。何年経っていただろう、っていう。

草児:たまたま部長が持って来られてから解明に至るまでは、どのくらいの期間がかかりましたか?

赤木:そうですね、2~3日ですよね。

鼓子:はや!(笑)

赤木:もうね、メチル水銀については分析をしているから。

鼓子:そうか。なぜそこに至るか、その経過が解明できれば……。

赤木:ひょっとしてメチル水銀があったら、と思ったんですよね。

草児:人生の機微といいますか、どこで何が起こるか分からない。

鼓子:そうですよね。でも25歳という若さで、もう出会ってしまっているという。

草児:ちなみにその部長さんは、何とおっしゃったのですか?

赤木:「じゃあもう一緒にやろう」と。

草児・鼓子:(笑)。

赤木:この人は、元官僚だったんです。年齢的には親子みたいなものですよね。

草児:だけど「一緒にやろう」というようになれる。どちらにもフレキシビリティがないと、そんな容易にタッグは組めないですよね。

赤木:東京大学の薬学部出身で、元行政官という立場でありながらも熱くのめり込んでくれる、使命感のある人でした。ともかくすごい飲兵衛なんですよ。もう毎晩のように「今日は暇か?」って。でもその付き合いの中でディスカッションを繰り返して、それで研究に拍車がかかったということもありましたよね。

草児:酒はお強い方なんですか?

赤木:ええ。でも今はちょっと病気がちで……昔はもう本当に、どれだけでも飲んだ。

草児:これはでも、すごい話をお聞きしました。

鼓子:それが20代の頃ですもんね。

研究なんて、どこにいてもできる

草児:公衆衛生院の中で研究を進めていく上で、印象に残っているようなことはありますか?

赤木:(当時の職員名簿録を見ながら)この人が分析化学室の室長ですね。ここに2年間、いたんですよ。名前が「分析化学」でしょう?だからお手のものなんです、分析をするのは。でも室長の指示でやることは、とても研究だとは思えなかった。我慢していましたが、結局彼をぶっ飛ばしたんですよ。

草児:それは言葉で、ですか?

赤木:拳で。

草児:拳で!喧嘩ということですか?

赤木:喧嘩ということです。

鼓子:赤木先生が……?

赤木:そうです。僕は部長と飲み友達だから、部長から「室長が赤木の悪いことを言っていた」と聞いてしまった。部長も私も指導能力がない、とか色々ね。それで「あんた、こんなこと言っていたのか」と、こっちは確認したいわけですよね。目の前で話をすれば、言ったか言わんかはすぐ分かるでしょう。あまり引きずっても変なことになると思ったから、彼を部長の前に引っ張り出して「克明にメモして来たけど、こういうことを言ったのか?これを言ったか、これは言ったか?」って、一つ一つ尋ねたんです。

草児:そこは理詰めなんですね。

赤木:ところが実際、答えないと言うんです。で、もう埒が明かんからね。「どうするの部長?答えさせたらどう?」と言ったら部長は「いや、手荒なことはしちゃいけない」と。「暴力だけは……」と。そんなことを言ったらね、こっちは先を急ぐ身で。

草児・鼓子:(笑)。

赤木:それで、胸ぐらを掴んでワーッとふっ飛ばした。でも試験管を持っていたんだよね、彼は。「これは大事な試料だから」と言われたけど「そんなの知ったことか!」って。ふふふ(笑)。プッツンですよ、そのときは。怪我はなかったけれども、椅子もろともひっくり返っちゃったからね。それでまた捕まえようとしたら、逃げちゃった。「いい大人が逃げんなよ!」と言って。

鼓子:怖い!赤木先生のイメージが変わりました(笑)。

赤木:まあね、そういう若気の至りが。

草児:それは硫化水銀の研究をされた後のことですか?

赤木:前後ですね。だから、彼としてはやらせまいとすることになるわけですよ。研究を阻止しようとして。

草児:部長が「手荒なことはしちゃいけない」と言ったのは、研究が続けられないからという、そういう危惧も兼ねて、ということですか?

赤木:単に事を荒立てたくなかっただけではないでしょうか。

草児:でも赤木先生は「研究なんてどこでもできるわ!」みたいな感じで。

赤木:うん、どこに行ってもできるという感じで。ここでなくとも、場所を変えればね。だから国立水俣病総合研究センターに来た。できる場さえあれば、どこでもいいんですよね。

草児:その腹の括り方がすごいです。不謹慎ですけれど、面白い話だと思いました。

赤木:人生の中では、こういうものが一つの大きなエポックですよね。あそこでそのまま退いてしまったら、研究内容もずっと変わらなかったかもしれない。室長の思うままに研究を続けて。「あなたの研究内容は、とても研究とは思えない」と僕は言ったんですけれども。「技術的な話ばっかり」だと。それは研究ではない、こういうものが研究なんだというのを、身をもって示したかったのでしょうね。

草児:何か突き止めたいものに向かって、まっすぐ進む力。

赤木:ええ。しかもそこに、科学的な根拠がある。

鼓子:結果としてこれだけの論文(※)を出すことができたということに対する評価は、どういうものだったのですか?

※前出「水圏における水銀化合物の光化学的変換」(1976年)を含む一連の論文。

赤木:これは日本の中では、一部を除いて総スカンでしたね。

草児:総スカン、というのは?

赤木:日本化学工業会ってありますよね。そこの幹部が20人ぐらいで、公衆衛生院に押し寄せて来たんですよ。「無機水銀がメチル水銀に変わるという研究をしているそうだけど、余計なことをしてくれている」と。

草児:じゃあもう、揉み消そうとされたわけですよね。

赤木:無機水銀のメチル化がテーマなので、当時色んな工場で使われていた水銀が問題視されると困る。だから余計なことはしてくれるな、と。でも、名前からして「公衆」でしょう。しかもそこに「国立」と付いているわけですから。「国立公衆衛生院」という看板は何かといえば、国民全体の福祉のためにあるんですよ。ここに勤めている人間が、こういうことをやらないで何をするのか。
もちろん、利害関係のない研究者同士の間では何ということもありませんでした。それに世界的にはこの研究が認められていたので、カナダに招聘されることにも繋がったんです。

グローバルな世界観で見据える

赤木:私がメチル化に関して特化してやろうと思ったのは「自然環境、特に底泥における水銀のメチル化機構の発見」、こういうことです。これはスウェーデンで1969年に発見されたんですね(※)。69年というと、私が就職して次の年だったので、もうタイムリーでした。だから飛びついた。メチル化は本当に自然界で起きるのか、と。これはやはり一つの発想というか、これをしないで他のことはやれないですよ。やったらもう、ご法度ですよね。こんな大事なことを置いておいて、何をやっているのか。自然界でメチル化を起こすというのは、その当時はすごく大きな流れだったんですね。乗り遅れないようにしたい、という思いがあったんです。

※自然界(河川や海の底泥)で無機水銀からメチル水銀に変化する機構の存在することが初めて明らかにされ、世界中の水銀研究者から注目を集めた。「ネイチャー」誌に発表された論文名は以下の通り。
S. JENSEN and A. JERNELÖV,Biological Methylation of Mercury in Aquatic Organisms,Nature volume 223, pp.753–754,1969

草児:今の話だと、このトピックに飛びついた赤木先生という存在がいながら、日本の業界全体としてはそういう風潮にはなかったということですか?

赤木:そうですね。これはもう、いかがなものかと思いました。日本は遅れて行くはずですよ。誰もこんなことしないからね。なぜ私がやったか。やはり光によるメチル化の発見があったからです。それがきっかけになってカナダにも行った。だからやらなければ、カナダの人にも申し訳ない。自然界のメチル化というのは、今や常識になっています。グローバルな世界の話ですから、向こうで「これは日本ではやっちゃいけないテーマです」とは言えないでしょう?

草児:その気持ちは、ある種の責任感と表現していいのでしょうか?

赤木:責任感というよりも、研究業務とはこういうものだ、ということです。道筋というものが見えたような気がしますね。そうでないと水銀を研究している意味がないでしょう?水銀以外のことだったら僕は分かりませんけれど、水銀だったから。こういう流れには絶対逆らっちゃいけない。日本が遅れないようにするにはどうしたらいいのか、追及していくことですよね。

鼓子:全然しがらみがないように感じるのは、なぜでしょうか?

赤木:全然、ないですね。

草児:そうなんですか?

赤木:はい。組織の中といっても、研究者に一つ与えられていることは「自由な発想で研究ができる」ということでしょう?それが守れないようだったら、国家公務員も、研究者というレッテルも宙に浮いちゃって、何ということもない。だからやっぱり道を示さなきゃ。かっこよく言うわけじゃないけど、ものすごい抵抗ですよ。

鼓子:すごい抵抗だと思います。

どこに転機があるかわからない

赤木:大学4年のときに、行きたい研究室に行けなくなっちゃったんですよ。担当教授が私の大好きな人だったんです。飲兵衛の飲み友達で。

鼓子:飲み友達、多いですね。

赤木:「俺のところに必ず来いよ、1年間みっちりやろう」と。それでその人のところへ行ったら、人が多くて「ごめん、全員取れないんだよ」と言われた。仕方ないからくじ引きになって、見事に落ちてしまったんです。まあショックだったですね~。それで行くところがなくて、結局行ったのが公衆衛生教室。そこの先生と一緒に共同研究をしていた、大阪府立の公衆衛生研究所の部長さんがいた。で、就職を斡旋すると。「俺のところに来たら就職はもう問題ないよ」と。それで受験票が届くのを待っていたけど、来ないんですよ。

鼓子:きゃー!

草児:それは人的ミスですか?

赤木:人的ミスですね。この人が引っ張ってくれると思っていたので、他に就職試験なんて受けていないんですよ。それで仕方がないから、恩師の勧めで「道は一つしかない。大学院に行け」と。その恩師は助教授だったので「まだ僕の部屋でというわけにはいかないけれど」と言いながらも、偶然にもね、うまい具合に「環境衛生学教室」が新設された。助教授だった恩師が、その教室の教授になったんですよ。大学院に入った途端に新設の教室に入ることになった。
実に思いがけないことでした。第1号の院生。それで、し尿処理を担当することになった。その頃は垂れ流しをやめさせて、浄化槽処理を普及させようと、そういう仕組みの中で動いていたんですよね。だから「うちもやろう」と。熱血漢で、魅力的な恩師でしたので、しっかり指導を受けることができた。そうしたら没頭しちゃって、浄化槽型式の大臣認定を受けたんです。

鼓子:わー!

赤木:ここで研究テーマとして何をやったかというと、生物学的し尿処理の過程で物質がどのように変転していくかを追求していった。し尿が綺麗になったというのは、化学的には低級脂肪酸という、酢酸になるんですよ。

草児:ほー!

赤木:酢酸ができて、それから炭酸ガスと水になる。有機質の分解です。

草児:なるほど、さっき見せていただいた化学式の……それがヒントというか、繋がっているんですね。

赤木:繋がっているんですよ。だからヒントになったのはこの低級脂肪酸、酢酸ですよ。酢酸と光の関係。しかも水銀との絡みでメチル化が起こるんです。面白いですよね。人生、どこに転機があるか分からない。

草児:でも気をつけて見ていないと、転機なんて見逃してしまいますよね。

赤木:まあ、そうですよね。

立ち消えになったパイロットスタディ

草児:今までのお話を聞いていて思い出したのが、市役所の職員が住民のため公園整備に尽力するという内容の、黒澤明の『生きる』という映画。「現場」というものがあるじゃないですか。水銀のことは現在進行形ですし、その現場の問題を解決しないで「何が科学か!」みたいな、そういう姿勢なのかな、と。

赤木:それはまさに、この現場という話の中でしか見えてこない。

草児:一番末端の部分ですよね。

赤木:ええ 。たとえば今は、汚染されたところをどうするのかっていうことは、はっきり言わないでしょう。汚染サイトはここの、水俣湾埋立地ですよ。

鼓子:そう思います。

草児:埋立地は実際にボーリングしてみて、掘り起こしたものを分析すれば、という道筋は見えているのですよね?それを今は……。

赤木:やらせてくれない。

鼓子:国立水俣病総合研究センターにおられたときから、ボーリング調査するべきだということを赤木先生は言っておられますよね。それを熊本県がやらない、断ることができる理由は何なのでしょうか?

赤木:実はかつて環境省の特殊疾病対策室長が、談判に行ったんですよ。「ボーリングをさせてくれ」、と。ボーリング調査の後、区画を決めて土壌浄化のためのパイロットスタディをやりたいと。

鼓子:素晴らしい……!

赤木:そこまでで13億円ですかね。予算も組んだんですよ。ところが断られてしまった。

鼓子:予算まで組んだのに!

草児:とても具体的なところまで提案した、ということですよね。

赤木:しかもね、大成建設と国立水俣病総合研究センターとで、一緒にやったんですよ。

鼓子:それはすごいタッグ!何でそこに飛びつかないのでしょうか?始まっちゃったら全部やらないといけないということになるからですかね……。

草児:僕らも家族でよく、埋立地にある公園で遊んだりするんです。一方で、この下にあるものが何なのか、ここがどういう場所なのかっていうことは分からないようにもなってきている。

赤木:分からなくなっていきますよね。だんだんね。

草児:でもそれを放っとくのかというと、そういう話ではないですよね。

赤木:そうです。土壌浄化のための装置の仕組みを説明しましょうか。低温加熱処理装置と呼びますが、ベルトコンベヤーで20分間だけ回しながら土砂を加熱すると水銀を取り除ける、ということが分かったんです。(新聞を読みながら)ここに「200~300度で」というように書いてあるでしょう(※)。300度以下というのが目標だったんですよ。土がボロボロになっちゃうと土壌浄化にならないので、まあ280度くらい。

※読んでいる記事は「水銀汚染土の再生へ」(朝日新聞,平成9年5月29日)。

鼓子:たった20分なんですか!?

赤木:もちろん何トンという単位ではないんですよ。少しずつですけれど、でもこれは何十年かかったってやるべきですよ。こういう事業をやること自体が、水俣の活性化になるでしょう?

鼓子:そうですよね、これを一つの事業として捉えて。

赤木:それで、この技術がまた海外に行けば、なおよい。こんな綺麗でハッピーなことはないでしょう?

土壌浄化のための低温加熱処理装置
▲これが低温加熱処理装置(写真は国立水俣病総合研究センターより)。

草児:この話は、もう完全に立ち消えになってしまったのですか?

赤木:立ち消えになっちゃいました。

鼓子:もったいない。熊本県は、埋立地護岸の鋼矢板は2050年までもつとしています。でもそれ以降どうするかは、まだ議論されていませんよね。

草児:いずれにしても、埋立地が活用されやすい状態が最終的に作り出されれば、それに越したことはないですね。

赤木:埋立地はまた埋め立ててもいいじゃないですか。綺麗な土壌の埋立地になれば。

鼓子:そうですよね、何の心配もない。

草児:僕らは安全な土の上で遊んでいるという意識が生まれる。ハッピーさが全然違いますよね。水俣に生きているなら、幸せに生きたいですもんね。

赤木:その通りです。だから未来世代がずうっと続くということが、頭の中に入っているかということですね。

リライト―「科学が駄目だ」では終わらせない

草児:科学というものはやはり、未来をより明るい方向にしていく、そういうものなんですね。

赤木:本当はそうしていかなきゃいけないんです。

草児:その辺がみんなの心で分かると、もっと……。

赤木:科学の力で修復しなければいけないものが、科学でダメージを受けてそのままでしょう?科学が駄目だっていう話で終わってしまう。でもこういう科学っていうのもあるわけなんです。

草児:対抗する科学というか。

赤木:そうです。

草児:骨が入っていますね。

赤木:そうなんですよ。例えば蛍光灯のガラスをね……蛍光管には水銀が入っています。これを綺麗にして、水銀のないガラスができるんです。

鼓子:さっきのあの装置を使えるということですか!?

赤木:そうです。

草児:無茶苦茶、いいじゃないですか。

赤木:これは金沢にあります。だからこれ、取材に行ってください。金沢の「サワヤ」というところです(※)。私はものすごく、この会社に対して申し訳ないと思っているのと、サポートしたいという気持ちがあるんです。水俣だからこそ、蛍光管からできる製品をこっちで売ってもいいんですよね。

※石川県金沢市にある、照明プランの提案・施工や廃蛍光灯を再利用した循環型社会の推進を行う会社。事業内容は下記URLよりご覧いただけます。
株式会社サワヤ公式ウェブサイト(参照:2020年3月11日)
http://www.308-al.co.jp/

草児:そうですよね。こういうものがあるというのは初耳です。ゴミを分別していると、蛍光管なんかは対象として「面倒くさいな」と思ってしまうものですよね。でもそれがこんな製品に生まれ変わるっていうのは……。

赤木:ねえ。あ、そうだ。コップがあるんです。

鼓子:へえ~!もとは蛍光管だったんですね。

草児:水銀が除去されている上に、さらにコップとして使える。

鼓子:素晴らしいですね。

赤木:これを一個ずつ、記念品で差し上げます。だから、できたら取材に行って欲しい。

鼓子:そうですね。いただいたら、行かざるを得なくなる(笑)。

草児:「Re」とコップに印されているのは、 これはリグラスの「Re」ですか?

「Re」と刻印されているグラス
▲赤木先生からいただいた、「Re」と印されているグラス。元々は蛍光管だったものだ。

赤木:「リライト」です。

鼓子:面白い!もう一度輝く……。赤木先生がこの技術を提供したということですよね?

赤木:もちろんそうです。技術を買ったんです、彼らはね。だから、ガイアみなまたが販売店として……。

草児・鼓子:あっははは(笑)!

赤木:なぜかというと、本当にエコなんですよ。しかも水銀ゼロの商品なので。商品というよりはね、シンボリックなものとして身近に置いときたいものですよね。
水俣のどこに行けば何が分かるかという拠点に、ガイアはもうちょっと入って欲しいんです。「ガイアみなまた」という看板を背負うとするならば、どういう看板にするか。分けるといいですよね、何か別のものを追求するかたちを……まあ例えば牡蠣に乗っかるとか。本当に牡蠣のための勉強会をするとか、やっていくとどんどん近づいていけると思うんです。水俣は大半が山ですよね。そこから育まれている水、栄養分が、川を通って下りて来るんです。他の県は通っていないですよね。水俣市内で一本、完結している。非常にコントロールしやすい。大上段に立てば、我々の責務で綺麗にしちゃうということが、やればできない話ではない。みんなを束ねてやれば。川をきれいにするという、そういうネットワークを作ったりですね。

鼓子:ちなみにこの除去された水銀は、どうするのですか?

赤木:取り出した後、最終的には埋めないといけないですね。

草児:つまりもう新しく作り出したらいけない、ということですね。せめて今あるものを埋める形で処理して、できるだけフリーな状態を作ると。

赤木:だから、貴重品も貴重品です。「蛍光灯をポンポン捨てちゃいけないよ」っていうのと、リサイクル製品としても……蛍光灯のガラスの質はものすごく高いから、製品の質がいいんです。

鼓子:そうなんですね。知らなかった。

赤木:これは硬質ガラスなんです。パイレックスというやつです。熱に強いですよね。

草児:そうやってモノとして見える状態で目の前にあると、水俣病の話なんかがすごく具体的な、自分の生活に直結する身近なものとして迫ってくる気がします。僕らは実際には何も経験していない世代の人間ですから、実感のこもった言葉というのをどこかで言わなければと思っている自分たちがいて。どこかに取っ掛かりがないかって、常に探しているところがあるんです。

赤木:地に着いたものとしてね。

草児:そうなんです。ちょっとうまく言えないんですが。

使命感と共に生きる

鼓子:赤木先生はこうやって水俣に暮らしながら研究を続けて、一方で世界に赴いて自分の技術を伝えるということを、今でもやっておられますよね。この途切れない情熱、ずっと傾け続けることのできるモチベーションになっているものって、何なのでしょうか?

赤木:それはまあ、自分に対する使命感でしょうかね。やっぱり自分自身をそういうところに持っていかないと、終われないんですよ。80歳近いので、もうそろそろラボも閉じる時期ではあると思っているんです。閉じるっていうのは、一つの区切りかなと思っています。JICAに対しても、これ以上僕がすることはないということですよね(※)。向こうだって、次の世代を育てなければいけないから。世代交代、それはもちろん私も大賛成なんです。次の世代がいないから困っているというだけの話で。「自分のもの」があるかないか、これには大きな違いがあります。

※国立水俣病総合研究センター在職時より、赤木先生はJICAの技術協力プロジェクト(途上国の水銀汚染調査に係る国際技術協力)にも参加している。

鼓子:自分のもの……。

赤木:自分のもの。自分が動ける、解ける材料がある。でも片や、語り継ぐしかないという話ですよね。自分で極めていなければ、詰まったときにどうしようもないでしょう。相手が詰まったときにどうするんですか、と。ここで技術伝達、ノウハウの話になるわけです。例えば、みんな裁縫はできるけど、ここのところが難しいというのがあるでしょう。

鼓子:ありますね。

赤木:そういうところを「こうやればいいんだよ」って解決してあげると、そこからぱあっと広がっちゃう世界があるんですよ、どんな作業でも。そういうのを大事にしなきゃ。通りいっぺん、大体数字が出ればいいという話ではなくて。正確でしかも再現性がよい、精度が高い、と。こと水銀汚染に関しては、そういう分析をしていかないといけない。常にそうでないと、無茶苦茶になっちゃうから……まあ、そういう姿勢が大事だということです。

鼓子:浄化装置のこともそうですが、もったいないですよね。技術を技術として扱わないままでは。

赤木:いやなことです。

鼓子:私たちの世代に引き継がれた、課題ですね。

赤木:だって未来世代を考えれば、やらざるを得ないでしょ。我々もそういうところに託している部分があるので、密かにね。だから、やってください。

草児:ストレートに言われると、とてつもない重圧に感じてしまいますが……でもそう言っていただけるのはありがたいです。

鼓子:先ほど言っていただいたように、ガイアに求められている役割が何なのかっていうことを、もう少し私たちの世代も考えないといけないですね。先生のおっしゃる「使命感」というものが、自分にとっては何なんだろうっていうのが見えてないところがあるので、それを探したいです。

赤木:私はよそ者だから、なおさらね。よそから来てここに住ませてもらった以上は、やっぱりお返しをしなきゃいけないという使命があるなあ、と。いろんな恩恵を、たくさんいただいた。

鼓子:それは私も思います。

赤木:だからそういう意味では大きいですよ、使命感は。あともうちょっと、詰めるところまで詰めて。「安価で誰にでもできる、これが本物の分離法だ」ということを、あとちょっとやればね。今あちこちに「やってみて」って伝えてはいるけど、なかなかうまくいかないから。まあ自分でやるしかないと。

鼓子:最後の最後まで。

赤木:まあ、面白いですよ。

草児:面白いと言えてしまうところが、すごいと思います。

(終わり)

おまけ

赤木:(写真を見せて)これは公衆衛生院です。

草児:立派な建物ですね。

赤木:で、8階のてっぺんから「薩摩焼酎白波を賞味する会」という垂れ幕を垂らした。

鼓子:本当に!?

草児:それは単独でやられたんですか?

赤木:当時衛生院には、一声かけると直ちに団結できる多くの研究者仲間がいたので、その人たちと一緒に。焼酎を広めたいという気持ちがこちらにはあるので、それで「賞味する会」を催した。枕崎から、一升瓶が20本届くんです。知り合いの酒造会社の息子に「ちょっと20本送ってよ」と頼んだら、タダで送ってくれて。

鼓子:素晴らしい(拍手)。

赤木:一晩でなくなっちゃった。

草児:それは何人で飲んだかによりますね(笑)。

赤木:200人くらい。

鼓子:広まりましたね~。

草児:何だか面白いことをやっておられますね。

鼓子:先生は大胆ですね。真正面というか、まっすぐ生きておられる。

赤木:大胆ですよ。だって、面白いことをしなきゃ。人生はね。でもこれで、一応怒られるんですよね(笑)。

鼓子:あ、怒られるんですね(笑)。

赤木:表だけじゃなくて裏の話もするからね。まあ、真っ当ですよね、みんな。

(終わり)

あとがきにかえて

今回、タイトルを当初「幸せな科学を」とする予定でしたが、これを見て赤木先生は「本当に幸せな科学というものは、ないんですよ」とおっしゃいました。その後に「だからこそ常に、真実を追求し続けなければならないんです」と言葉を継がれた。その質量に、からだの潰される思いがしました。
それでも、科学は未来を切り開く。
水銀が「いい、悪い」のその先へ。
知識・経験のつまみ食いを恥じながらも記録したこの文章に、一人でも食指を動かす人がいてくれたら幸いです。水銀に(そして科学に)対する僕自身の壁を壊していく作業も、ここから始めなければ、と思います。

(高倉草児)