甘夏は、震えているか?

 

対面シリーズ……この特集は、僕たちの人生を僕たちの足で踏みしめて歩んでいくための基礎体力を得るべく、方々への対面を勝手に企画しているものです。

今回の語り手:下田健太郎(しもだ・けんたろう)さん
……1984年東京生まれ。慶應義塾大学文学部助教(有期)。2006年以降に水俣・芦北で計約26ヶ月のフィールドワークを行い、水俣の記憶が紡がれていくありようを本にまとめた。二児の父で、好きな食べ物はぶえんの魚と鳥の唐揚げ。

聞き手:高倉鼓子、高倉草児……ガイアみなまた職員

まえがきに代えて

今年から「火のまつり」の実行委員になった。火のまつりとは、水俣病で犠牲となった全ての生命への祈りと、地域再生への願いを込めたまつりで、毎年9月の彼岸に水俣湾埋立地で行われる。実行委員になってすぐに「安請け合いするんじゃなかった・・・」と後悔した。地域再生や相互理解を「祈り」の場で行うことの難しさといったら。今はそこに、まつりの簡略化と世代交代まで求められている。
この難題に私はどう向き合うのか。答えが見つからないまま、ふらふらと図書館に立ち寄ると、新刊コーナーで一冊の本に目が留まった。

「水俣の記憶を紡ぐ 下田健太郎」。

下田さんって、相思社の宿舎前でうんこ座りして煙草をふかしていた、あの・・・?迷わず手に取り、読みふけった。下田さんにインタビューすることを、そのときすでに決めていたのかもしれない。
(高倉鼓子)

ライフ with ドッグ

(市内の某食事処にて) ※以下敬称略

鼓子
いやもう、(本の内容が)めっちゃ面白かったです!あとがきが一番面白かった!犬との生活の・・・。
草児
幼い頃に犬小屋で、犬と一緒に飯食って、寝食を共にしていたっていうやつでしょう?
健太郎
うん、寝食。常に一緒にご飯を食べていたわけではないんだけど、やっぱり、犬っていうモデルが結構強くて。だから食べ方とか、人間みたいに食べる意味がよくわからなかった。
草児
それは相当、面白いです。
鼓子
親のしつけとか全然なかったってことですか?
健太郎
いや、親はそれでいつも怒ってて。「お前犬と変わんねーから犬小屋行ってこい」って言われて、犬がドックフードを食べてる横でご飯を食べたり・・・。
鼓子
それギリギリじゃないすか。大丈夫・・・?
草児
だからそのギリギリアウトなところから見えてきたものって、あったわけですよね?それが今、健太郎さんの中にも残っている?
健太郎
物事を考えるときに、人間を中心に据えて考えるのが怪しいと思ってるのは、常にあるかもしれない。埋立地の話で言えば25ppm、それって誰にとっての基準なの?っていう。福島の問題でも、何々ベクレルっていう基準は誰にとっての基準なの?というのは常にある。人間からしか見ない目線があるときに、何か胡散臭いなーっていう思いが今もずっとあるかもしれない。

緒方正人さんとの出会い

草児
一つ聞きたいのが、何で正人さん(※)だったのかな、って。明確に、正人さんに会いたいっていうのがあったんですか?

※正人さん
緒方正人さんは、芦北町の海べたに住む漁師で、「本願の会」(1995年発足)のメンバーでもある。健太郎さんは正人さんへのアプローチを行い、そこから重要な示唆を得ている。

健太郎
うん。東京でインタビューの記事を読んで、こんな人がいるんだって思ったんだよね。そのインタビュー記事っていうのは、「俺たちは魚を食い続けてきたんだ」と。「毒されているとわかっても食い続けてきたっていうのは、俺らを生かしてくれている命の母体みたいなものを、裏切らなかったっていうことなんだ」、と。それで、ビビッときた。
草児
うーん。何か、仁義に近いものがありますね。
鼓子
水俣病になるかもしれないとわかっていながら魚を食べ続けたことについて「自己責任じゃないか」っていうふうに言われてしまいますよね(※)。私もそれはすごく・・・あの、最初はそう思っていました、実は。わかっていて食べ続けたのは、何でなんだろう?っていう、そこの気持ちがわからなくって。病気になるかもしれないのに。で、実際に自分が病におかされていながらも、食べることもする。それがわからなかったので、今、その言葉を聞いて・・・あぁ、裏切らなかったんだって。

「わかっていながら魚を食べ続けた」という表現については、時代により誤解が生じる。特に水俣病裁判の関係において重大な認識の相違となりうるので、ここでは「本当に知らなくて食べていた」時期も確かにあったということを、申し添えたい。

健太郎
東京でそういう言葉を読んで、この人に会いに行くしかないって思った。実際に会ってみると・・・バファリンの半分は優しさでできていますって言うけど、こっちに来てみて漁師さんと生活を共にすると、この人たちの身体は魚でできてるんじゃないだろうかって思うぐらい、圧倒的な量を食べることに驚いた。そして本当にこう、愛おしむように、むしゃぶり食うっていうか。
鼓子
魚は自分の一部というか。
健太郎
うん。
草児
その漁師に健太郎さんがどっぷり浸かっている。僕らより、漁師と付き合いが長い。だから、そのアプローチの仕方がひとつは面白いなって思うんです。競り船とかあばぁこんね(※)とか、地元っていうところの付き合いが深くて。どっぷり浸かっている感じが、見ていて心地良くって。結局、何だろう・・・今の我々にとって、正人さんの言葉を直接聞くのではなく、健太郎さんを介して正人さんの言葉を知るというのが、意外としっくりくるんですね。

「競り船」は水俣市で毎年夏に行われる行事。水俣川で、地元衆がドラゴンボートの速さを競い合う。「あばぁこんね」は水俣を中心に若手が集まって活動していた、いわばまちおこし集団。健太郎さんはここにも参加してくれて、水俣の海から塩をつくる作業をともに楽しんでくれた。

鼓子
うんうん。すごいわかる、それ。

初日から、本気の「帰れ」

草児
正人さんはどうでした?「研究しに来ました」みたいな感じで、まぁ正人さんちの門を叩いた。その最初のところはどんな感じだったんですか?
健太郎
研究というより、やっぱりいろんな話を、熱中して、あれも話したいこれも話したいって、話して。で、行った日の夜かなぁ・・・「帰れ」って言われた(笑)
鼓子・草児
え!?本気の「帰れ」だったんですか?
健太郎
うん、怒ってた。まぁ、もっともな怒りなんだけど・・・。
草児
なぜですか?
健太郎
何だろう、自分のテーマとしてはやっぱりその、人間以外の生き物から何かを見るっていうのがあって。うちは母親が動物病院やってたから、輸血用の猫が必要だった。輸血が必要な猫が病院に来たときに、その猫から血を取って渡す、そのための猫。父親も獣医で、動物の薬を研究する仕事で、実験動物が職場にいたから、そこから猫を一匹もらってきて、家で飼ってた。小さい頃だから、何でまた飼い出したのかな?ってわかんなかったんだけど、それは輸血のために使う猫だったっていう。耳にQL04って、刻印みたいなのが入ってる猫で、母親の病院に行って輸血して帰ってくると、フラフラして何かいつもより余計に愛情求めているみたいで。見てて、何かその、輸血って何だろう?みたいなことを考えて。この猫は何のために生きているんだろうか、みたいなことを考えるようになって。
で、大学ぐらいかな・・・「輸血とは共食いだ」みたいなことを書いてある本があった。輸血っていうのは、その、別の生き物の血液を自分の体内に取り込む行為だから、共食いに近いと・・・。
草児
そうか。肉を食べて血にする、その肉を食べるっていう過程が省かれているだけですもんね。
健太郎
うんうん。で、もうほんと馬鹿な考えだけど、その輸血イコール共食い、共食いイコール悪だと。その猫が、見ていて痛々しいっていうのもあったんだけど。で、輸血というのは悪なんだと、っていう話を正人さんのところに行ったときにした。
鼓子
へえ〜!
健太郎
そしたら正人さんが言ったのは、「お前が今、輸血しないと死んでしまうっていう患者さんのところに行って、その人の目の前で輸血は共食いだって、輸血は悪だって、どの面下げて言えるんだ?お前の言葉には何の責任もない。だから大学生っていうのは頭でっかちで嫌なんだよ。帰っていいよ」ってなった。
草児
いや、でも正人さんは、ちゃんと話を聞いてくれているじゃないですか。
健太郎
そうそう。あの人は小さい子どもの話でも真剣に聞くからね。
草児
その・・・帰ったんですか?
健太郎
帰んない。その最初のとき、三泊ぐらいさせてもらったのかなぁ。
草児
「帰っていいよ」って言われた次の日の気まずさとか・・・。どんな朝を迎えたんですか?
健太郎
朝ねえ・・・(笑)。でも優しくとりなしてくださった。「俺も若いときは、そういう自分の主義主張みたいなので喧嘩をふっかけた時期があったよ」、みたいに言ってくれて・・・。
草児
正人さん自身、いろんな変遷、その・・・過程があって。いろんな変化を経ている方ですもんね。で、一旦はそこで終了して、帰ってまたもう一回、長丁場で行こうみたいな感じになったわけですか。
健太郎
そうだね。2006年の夏に初めて来て、まぁ怒られながらも、いろいろ教えてもらって帰るんだよね。その翌年に、また行った。

魚って鳴くの? ―いのちとぶつかる、最前線

草児
漁とかを手伝い始めたのはそのあたりからですか?
健太郎
一番最初のときから手伝ってた。全然もう、力にはならないんだけど。
鼓子
正人さんのやる漁って、やっぱり、一人で手でやる漁ですか?
健太郎
いや、おばちゃんと一緒にやっておられる。流し網っていって、こう、網を入れて、流して、それを揚げるときにはローラーも使うし。
草児
どうですか、漁って?
健太郎
ゾクゾク、ワクワクする。
草児
やべぇ、海の男だ。そうですか。漁を生業にしようとか思ったことあります?
健太郎
生まれ変わったら漁師になりたい。食うために殺すっていうことは、人間にとってやっぱり根本的な事態だよね。漁師さんは、その一番近くにいるから。
鼓子
そうですね、直結している。
健太郎
直結してるよね。自分で殺すと、魚は一匹いっぴき鳴き声とか違ったりするし
草児
そうか。一匹いっぴき鳴き声が違うっていうのは、ちょっとポイントですね。全部同じ鳴き声のはずないですもんね。
鼓子
魚が鳴くって知らない人もいるかもしれないね。
草児
というか、魚は鳴くんですか?
健太郎
鳴く。「シラグチ」って知ってる?網からはずすときにグウグウ、グウグウって鳴くんだよね。
鼓子
へ〜、面白い。何か土本さんの映画(※)でも、キュウキュウって鳴くイカとか・・・イカって鳴くんだ、とかそのとき初めて・・・。

「水俣-患者さんとその世界-」(1971年、土本典昭監督作品)のこと。

健太郎
魚に鳴き声があるって、知らないよね。
草児
いやでも最前線にいるって、そういうことですよね。鳴き声を聞いてしまった者の宿命というか。

言葉にできない世界の方へ

健太郎
というよりはやっぱり、言葉にできない世界だと思うんだよね。例えば獲った魚の首を折る。その、絞めた方がおいしく食べられるから。そのときにこう「ボキッ」といくんだけど、魚のからだが「ブルブル」って震えたりする。そしたらそれは、その震えが自分のからだと一体化しているというか。握ってる魚がブルブルって震えれば、自分のからだもブルブルってなる。その経験って、何て言うんだろう・・・その、殺したからこっちも何かしなきゃいけないとかって、言葉にすると何か違うというか。なかなか言葉にならない世界だと思うんだよね。
草児
なるほど。
健太郎
何か難しいんだけど・・・。
草児
いや、僕今なるほどって言いましたけど、ちょっとわかんない。やっぱり、その感覚を実際に味わわないとわかんない。
健太郎
わかんないっていうと何か変だけど、言葉はやっぱり後づけになっちゃうところがあるのかなって気がする。
草児
全然違う話ですが、ジャズっていう音楽のジャンルがあって、やっぱり理論、言葉にできる体系がある。でもそこから外れる変な音を弾いて、お客さんがキューンってなっちゃう。そういう瞬間もあって。その時の感覚って唯一無二なんですよね。その瞬間に代わるものはないっていう。
健太郎
やっぱり、研究者として文章を書くわけだけど、でも一方で、そういう言葉にならない世界に身を置いときたいなーって感じも、強く持っているというか。
草児
正人さんの世界は、まさにそうだったわけですよね。
健太郎
うーん、正人さんの世界・・・。
草児
そこはどうなんですか?
健太郎
まぁ、食うために殺す現場っていうのは、自分にとってはそういう世界だったっていう・・・。
話が飛ぶけど、最近娘が4歳になったんだ。「花(はな)」っていう名前で。いつも一緒に見ている紫色の花があるんだけど、一月に東京で大雪があって、積雪二十何センチとかになって。それが溶けて、一緒に見に行ってみたら、その花が、前とほぼ変わらないぐらいしっかり、ピーンって咲いてた。で、それを見て「何でだろー、何でだろー」、って娘が言うんだよね。帰ってきて、日常過ごしていく中で何度も何度も、「あの紫のお花すごかったね」「雪が降っても潰れずにあんなに咲いてたよね」って。で、そのときに娘が感じていることっていうのは、やっぱり、言葉にすると、何かちょっと嘘くさくなる類のものじゃないのかな、って思う。
草児
植物ホルモンが云々、摂氏何度でも大丈夫、みたいな。
健太郎
うん(笑)。何だろうなぁ。
草児
言葉にできたものを重んじるっていう姿勢、傾向は自分の中にもあるなぁって思ってて。じゃあ逆に、言葉にできないものって何なのかなって思う。そういう経験値は少ないんですが、たとえば甘夏とかに向き合っていると少しその感覚がある気もします。
甘夏はブルブル震えるかなぁ・・・?

甘夏は、震えているか?

鼓子
震えない。
草児
うん、震えないけれども、生き物を扱ってる感覚はあるよね。で、手に負えないってのも一つありますよね。嵐、台風・・・それらに近いのかなっていう・・・近くはないんだけど。うまく言えないですね。
健太郎
うん、確かに。
鼓子
私たち、「きばる」っていう生産者のグループなんですけど。その中には元漁師の人が多くって。もちろん今も漁に出る人もいて。そういう人が山に入ったときに出す言葉みたいなのが・・・杉本守さんという人が「樹にも魂が入っとるけんな」って言うんですよ。当たり前のように。「魂の入っとっけん、してやったしこ返してくれる」ってことを言うんですよ。
多分それは海にいたときの、魂を自分たちがいただいている・・・「のさり」っていう言葉を使うと思うんだけれども。それがそのまま山にも持ち込まれているというか。その感覚が、全然私にはなかったので。一本いっぽんの樹に顔があるような感じで彼は接しているんだなって思ったときに、すごい心が豊かというか、世界が広い、見えているものがちょっと違うなって思いました。そのときから何か私自身も、一つひとつの樹は違うんだって、同じようにやったつもりでも違うんだっていう。ちゃんと見ようって思うようになった気がします。それはなかなか、言葉にはできない感じがする。
健太郎
そうだね。でもあえて言葉にすると、ギフトっていうか、贈り物の世界なのかもしれないなぁっていう気がする。返してくれるっていうのも。
草児
それっていつ返ってくるかっていうのも、正直言うとわかんないじゃないですか。だけど気長に待つ姿勢というか、それぐらいの時間軸すら持っているんじゃないかって、思うときがあります。
健太郎
ああ〜、ただ一番わかりやすい贈り物としてはその、実りがあるとか、魚でいえば大漁とかっていうのが一つ、向こうからの贈り物として、目に見えるものがあるよね。逆に人間の側からの贈り物って何なんだろう?
鼓子
でも杉本さん、「もじょがったら(可愛がったら)もじょがったしこ、返してくれる」っていう言い方してたから、やっぱり自分たちが愛情を注ぐっていう、その姿勢をちゃんと、みかんに対して見せるということなんだろうなって。だから結構厳しい人たちが多いです、きばるの生産者の人たち。女島の小崎清子さんって、小崎照雄さんの奥さんで、去年までみかんつくっておられたんですけど・・・「一回一回が真剣勝負ぞ」ということを言われる方で。

命がけの贈り物

草児
自然との付き合いをなめちゃいけんよっていうのは、言ってくださってるのかなっていう気がしますね。下手したら命取られるっていう感覚があるのかなぁ、海にいると。
健太郎
うん、それは絶対ある。命がけの贈り物だよね。正人さんからもらったすごい好きな言葉で、「選び取らざれば選ばれず」っていうのがあって。自分が選ばないと向こうからも選ばれないっていう。本当に「これだ」って選び取って、それに向けての自分の気持ちが本当かどうかっていう、退路を断つ、その覚悟を示せたときに、向こうからも選ばれる。
草児
小っちゃい話で申し訳ないですが、僕、結婚するときに、やっぱりモヒカンという髪型はダメだと思って、モヒカンを捨てたんですよ・・・僕はモヒカンを選ばなかったし、モヒカンは僕を選ばなかった
健太郎
そういうことかも(笑)。だって彼女を選んだんでしょう?退路を断つために象徴的に切ったんでしょう?
草児
まぁでも、その愛情を注ぐ感覚っていうのを僕らはもうちょっと知らなきゃいけない、と。だからといって僕らが海に出ればいいという話ではないと思うんですけど。
健太郎
さっき草児君がさ、たとえば正人さんの言葉を、僕が書いた文章を介して聞くことで、ちょっと解りやすくなったりするっていうことを言ってくれたと思うんだけど。やっぱり「繋ぐ」っていうことがひとつの、自分の仕事の大事なポイントなんだろうなと思ってる。

記憶を繋ぐ、語り継ぐことの苦しさ

草児
何かを語り継ぐというときに、結局、当事者でない我々が次に伝えていきたい、と。意思はあるけれども、そのものを経験したという、蓄積がない。そういうときいかにして・・・というところの答えの一つが、この本の中に少し見えた気がした。だから、改めてお話がしたかったんです。
面白かったのはね、野仏をつくった正人さん自身も、野仏に作用されているっていう。それによって正人さんも変わっていって、二体目をつくって・・・その過程が面白くて。それがどんどん伸びていくと、今度は、何て言うのかな、それが僕らに繋がっていくような気もするんです。多分そこで正人さんは生きてるんですよね。
我々で言えば、きばるの先輩たちがつくってきた甘夏みかんっていう道。これは、ただ忘れ去られて過ぎていくものじゃなくて、それがあることによって我々が刺激を受けて、今度は、そこからまた次のものに転化するというか、次の世代に伝えるための「鮮度」を持ったものに変わっていくと。そういう生きたものとして、彼ら正人さんだったり、茂実さん(※)だったりの生きた軌跡が、ここにあると思うと、まだ捨てたもんじゃないって思えるというか。

※茂実さん
生産者グループきばるの生産者、現会長である緒方茂実さん。正人さんの甥にあたる。

健太郎
すごいありがたい読み方をしてくれているなぁと思う。ただ誤解を恐れずに言えば、その、本物を想定することって、やっぱりちょっと弊害があるかなって気がする。唯一無二の絶対的な経験、真実の経験があって、その人にしかわからないものがある。で、それを二次的三次的に語り継いでいくと、どんどんこう、薄まって偽物になっていくっていう考え方って、やっぱり、ちょっと弊害があるかなって。
その、当事者にしても、自分の経験と向き合う中で何度も何度も語り直すっていう作業をしてきてるわけだよね。その課題とどう向き合うのか?っていうところで。それを、同じ時間とか同じ空間を共有した人が、その語り直す場に一緒に関わっていって、自分なりの表現っていうものを何か見つけられないだろうか、って葛藤していくってことは、決して偽物を生み出していくプロセスではないと思う。
鼓子
私たち毎年「交流会」っていう、お世話になっている生協の組合員さんとうちのみかんを食べながら、きばるってこういうグループで、これからこういうふうにして行きたいんです、みたいな話をする機会があるんです。私も今年はガッツリ行かせてもらって。その、語る中で、どんどん自分に対する自己嫌悪みたいなのが出てくるんですよね。話していく中で、私の言葉じゃないのに私の言葉のように、経験したかのように話さなければいけないというか・・・ちょっと誇張したりとか。そこに対する自己嫌悪っていうのは私も草児も常にあって。
草児
記憶を紡ぐって、じゃあ何なのかって思うんですね。
健太郎
うーん、難しい・・・ただやっぱりその、誰かが言ったことをそのまま言うこととは違うかなっていう気はするんだよね。

そこに希望はあるか?

鼓子
私が話していて思うのは、水俣病事件の話とかっていうのは、どれだけでも悲惨に話せるんですよ。本当に。でも逆に、聞いて良かったと思えるような話もできる。健太郎さんは、語りというか記憶を紡ぐ過程で「希望」を入れるみたいなことを、本に書いてたと思うんですけど。それは一体どういう気持ちで出てきた言葉なのかなって思ったんです。そこまで踏み込んだのは何でなのかなって。
健太郎
なぜ希望という言葉を使ったのか・・・希望を感じるからかもしれない。水俣に来て希望を感じたから、その言葉を使っているというか。
草児
実務の事務レベルで言うと、僕もうそれしか今やってないんで、仕事としては。希望がないんですよ、あんまり(笑)。正直に言うと。何だろう、日々に忙殺されると、考える余地がなくなってきて、何だろうなぁ・・・希望という言葉を使いづらくなってくるんですね、何か。もちろんその、甘夏っていう仕事を次に繋ぎたいっていう意欲はあるし、そうすることで語り継がれるものもあるだろうと思ってるんですけども。それと希望っていう言葉って、なかなかうまく親和しないというか。
健太郎
それはみんなあると思う・・・僕だって文章書いてるときは正直辛いもん(笑)。でも、きばるの生産者の人たちと接してみて、希望のようなものを感じることってない?
草児
いや、それが・・・感じてもいるんですよ、実は。茂実さんが「水俣病がなければきばるはなかった」って言うんですね。それを演繹すれば、水俣病がないと僕らもここに生まれてないんですよ。親父やお袋が水俣に来てなけりゃっていうのはあるし。きばるっていうのが甘夏を始めてなけりゃ、柳田さんが相思社をやってなけりゃ・・・色んな「なけりゃ」が重なって、初めて我々はここにいるんで。幾重にもね、やっぱり重なってきたことですから。
だから茂実さんが「水俣病がなければきばるはなかった」って言ったことによって、改めてそのことに気づくというか。
健太郎
ある意味、これからの課題でもあるのかもしれない。その、水俣の希望とは何なのかっていうのを・・・自分みたいなものが簡単に言葉でパッと言えるものではないと思う。
草児
希望って何なのかっていうのは、あんまり、この先十年二十年やってもわからんと思うんです。それこそ言語化できない。でも、少なくとも僕らは甘夏づくりを続けていくし、そこに茂実さんなりきばるの初期の人たちの記憶が紡がれていくし、そこにはおそらく石牟礼道子さんの記憶も少し入ってるだろうしっていうところで、やっていくしかなくて。もう、僕らがやっていく中で、それを伝えていったその後の人たちが判断してくれるしかなくて。
わかんないんです、やっぱり。悩むって、辛いけどでも・・・いいなぁとも思いますね。
健太郎
うんうん。安易な答えがないからね。さっきの鼓子ちゃんの話で言えば、本当にあの人の言葉をそのまま私が言っていいんだろうかっていう「葛藤」そのものに価値があると思う
鼓子
葛藤そのものに・・・常に葛藤してるんだけど、大丈夫か?みたいな(笑)。全然抜けられないんですよね。でも何かもうちょっとこう、きちっと割り切れたら、もっと前に進めるのかなと思うことがある。

埋立地にある不思議な感覚

草児
健太郎さんは、埋立地って今後どうなっていくと思いますか。質問を変えると、健太郎さんはこれからも野仏の研究は続けていくんですか?
健太郎
ずっと見ていきたい。でもやっぱり、複雑な場所だよね。最初に行ったときに、未だに誰だったかわからないんだけど、夜6時くらいかなぁ、結構風も強くて時化てて。エプロン姿のおばさんが、車から降りて、埋立地の護岸に正座して、しばらく恋路島の方を見てて。で、隣に焼酎のボトルみたいなのがあって、その焼酎を海にジョボジョボってして。祈ってたのかもしれない。
僕はその後も埋立地にいたんだけど・・・何かもう時化ってるから波がすごくて、「ボコボコボコボコ」っていう音が聞こえて、すごい不自然な音なんだよね、あそこ。岩とか砂浜だったらザザーっていくけど。でも何か波の音がすごく変で、ちょっと頭おかしくなりそうになった。何て言ったらいいんだろう、すごい・・・。
鼓子
初めて行ったときにそういう場面に出くわすって、すごいですね。私、結構通ってるっていうか、しょっちゅう、楽器吹きに行ったりとか走ったりとかしてるんですけど、そういう人に出会ったことはない。
草児
あそこは本当にいろんな使われ方されますよね。楽器もそうだし、恋人の聖地もあって、子どもたちが遊ぶスペースもある。釣りができて、サッカーも野球もできて・・・だけど基本的に、あそこ自体はずっと墓場なんですよね。魂を踏んでいる意識があるというか・・・。
健太郎
でも例えば、じいちゃんの墓場で、ひ孫にあたる子どもたちが、墓石に乗っかって遊んでたと。自分がそこに埋まってるひいじいちゃんだとしたら、それ見てどう思うかな?
草児
ちょっと嬉しいかも
健太郎
だから、もしかしたら、その埋め立てられてるものがどう思うかっていう視点があってもいいのかもしれない。それこそ魚の鳴き声で言えば、何十万何百万もの鳴き声があそこに埋まっているのかもしれない。その鳴き声を発する魚たちは何をしたら喜ぶんだろう、っていう発想もあるかもしれない。
甘夏がお返ししてくれるっていうのも、やっぱりどうしたら(樹たちが)喜ぶかってことを考えておられるわけだよね、多分、つくってる人は。それと似たようなことが埋立地に対してもあるんじゃないかな?その、贈る、贈られるの関係で考えたら、何をしたら喜んでくれるんだろうっていう。

それでも僕らは、語り続けたい

草児
さっき言ったように、僕らの言葉に対する自己嫌悪というか、そういう感覚がある。だけども、健太郎さんの言を借りれば、その・・・新しいものに生まれ変わっていくはずなんですよね。僕らから出てくるものは脈々と、受け継いでいるものがあって、それを僕らの言葉に置き換えていって・・・その繋がりさえ意識できれば、僕らはまだ語ることができる気がするんですよ。でもね、やっぱり往々にしてくじける
鼓子
くじけるよねー。
健太郎
それはみんなあると思う。自分も今回本にするにあたって、罪悪感みたいなものをやっぱり感じた。一人ひとりの人生を丸ごと描くのは不可能なわけで、文字には絶対ならない。その、文字にすることの罪深さっていうのはあると思う。
だからさっきの「言葉にできない」っていうのも同じことなんだけど、人ひとりの人生を言葉に書き起こすことの罪深さって、やっぱりあるんじゃないかなと思う。いろんなものが抜け落ちるから。でも、その罪深さを知ってるから、それでも表現しよう、より良い表現にしようと思う。少しでも、こぼさない表現にしたいって思う。だからどっちかではないんだと思う。罪を感じなくていい、っていう話じゃないし、好き勝手に何でも紡いでいいっていう話でもなくて。その「おそれ」を知ってるからこそ、何とか自分で少しでも良い表現を探そうとするっていうのが、紡ぐっていうことかもしれない。
草児
「おそれ」って、畏怖の畏ですか。
健太郎
うん。
鼓子
私は畏怖の畏だけじゃない恐れもあって。やっぱり、どんどん死んでくじゃないですか、みんな。もう後十年したら、本当にすぐ、すぐじゃないけどびっくりするぐらい死んでいくし。私の周りはもうほぼ高齢者なので。時間がないっていう焦りもあって。今聞いとかなきゃ、とも思うんだけど。
でも石牟礼さん亡くなって思ったけど、やっぱり、受け取れるものは受け取れるし、受け取れないものは受け取れない。残るものは残るし、残らないものは残らないというか。それはもう仕方がないんだなぁと、石牟礼さんが亡くなって、また思ったところでもあって。本当に怖いです。あの人たちがいなくなって、語らなくなった・・・語れる人がいなくなったときに、私がペラペラの言葉を語ったとして、何が伝わるだろうなっていうのは、怖いですよね。
健太郎
その怖さを知っていることが、大事なんじゃないかなって思います。
鼓子
水俣に足を突っ込んで、水俣に入ってみて後悔してないですか。
健太郎
全然してないです。
鼓子
あぁ本当に、よかった。
健太郎
でも何で?
鼓子
いやぁ何か。水俣のことは大事だよって思うんだけど。やっぱりどうしても、時間が経てば経つほど薄まるだろうし。水俣じゃないことの方が、今いっぱい他にもたくさん問題あるじゃないですか。その中でも、でもやっぱり自分は水俣に生きるから、水俣のことは大事に伝えたいなって思うときに、健太郎さんみたいにこう、寄り添ってくれるじゃないけど・・・俺も考えてるよみたいな人がいると、すごく心強いです。
健太郎
ありがとうございます。

(終わり)

あとがきに代えて

「ざっくばらんな話から偶発的に出てくるものが絶対面白いよ!」と健太郎さんに背中を押され、これと聞くことを決めず臨んだ回でした。調子に乗って(お酒も飲んで)話の過ぎる僕らを温かく受け入れてくださった健太郎さんに、改めて感謝します。会話が荒過ぎてまとめられないため、聴き手の発言をわけています。本の内容を前提にしていることもあって判りづらい向きもあるかと思いますが、その場の熱、臨場感みたいなもの、そして健太郎さんの人柄を感じ取っていただければ嬉しいです。もし機会があれば、本も読んでみてください。『水俣の記憶を紡ぐー響き合うモノと語りの歴史人類学』は慶應義塾大学出版会株式会社より発刊。283頁ありますが、グイグイ読めちゃいます。
今回の対談を読み返してみると、個人的には、大雪のあとにも咲き続けたお花のくだりが大好きです。自分にも二歳になる娘がいて、僕らがとうに疎遠になってしまった世界との繋がりを持っている彼女に、時おり嫉妬しています。希望が純粋なままで在ることは難しいのですが、葛藤と愚痴を伴いながら、それでも「語れないこと・言葉にできない世界」の周縁を、僕たちは旅し続けていきたいです。

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