河内晩柑を育てる吉田浩司さんに、会いにゆきました

吉田浩司さん

水俣は面白い人や言葉に溢れている。そういうのが、自分がやってきた農業にもあるかもしれない。

「『あんたはよその人間だけん、水俣で認めらるっとは10年はかかるけんな。覚悟してかからんとよ~』って、杉本栄子さんに言われた言葉はよく思えている。だから10年は、何とか頑張ろうと思った」。

長崎生まれの吉田浩司さんが、水俣の茂道地区で柑橘栽培を始めて、今年で20年。最初に植えた晩柑の苗木は今、樹の盛りを迎えてたわわに実を生らせています。

吉田浩司さんの河内晩柑園

「暖かくなってきた今の時期に、この果汁が嬉しい。酸味が少ないからジュースみたいに飲めるし、冷蔵庫で冷やしておいて常温で戻しながら食べると抜群だよ」。

そう言いながら、慣れた手つきで河内晩柑をむき、種を取って私たちに食べさせてくれました。おだやかな酸味と、その奥にある飾り気のない甘み。「ジューシー」という名に違うことなく溢れる果汁が、喉を潤してくれます。

「こうやってむいておくと、あっという間になくなる(笑)」。
吉田家の3人の子どもたちにも、河内晩柑は人気だそうです。

義父の発病を契機に、奥さんである明子さんの故郷・水俣へ移住したのは2000年のこと。農業経験はあったものの、柑橘に携わったのは初めてでした。

広大な園地を前に、「最初の3年は草刈りしかやっていなかった」と、当時を振り返って笑います。水俣駅の隣で催されていた朝市で、水俣における柑橘有機栽培の先駆者である新田九州男(にったくすお)さんさんに出会い、教えを乞いました。そこから趙漢珪(ちょうはんぎゅ)先生の韓国式自然農法を学び、独学も交えて実践を続ける日々。

「3本、柱をつくらんな」とは、新田さんからもらった言葉です。1本がダメでも、他のところで支えてくれる柱があったら、あだ農業を続けられる。この言葉を下支えに、しらぬいとグレープフルーツ、そして河内晩柑を主力にしていきました。20年を過ぎた今、縁が縁を取り持つことの大切さを、改めて実感しています。

吉田さんの園に咲く、大根の花。
▲園内には、こぼれ種から自然繁殖した大根が自生している。大根、採り放題である。
吉田さんの園に生える草。
▲春はカラスノエンドウをはじめとして、柔らかい草が繁茂する。フェアリーベッチやライ麦など、浩司さんが播いたものも見え隠れしている。草は茂っているが、居心地の良い園だ。

モットーは「正直であること」。その特性から落果防止剤の散布が不可欠な河内晩柑を栽培するためには、無農薬ではやっていけません。それよりも「何をいつ撒いたか、正直にお客さんに伝えることを大事にしたい」と、吉田さんは力を込めて語ってくれました。

規格についても、然り。大きさは大から小まで、皮が「汚い」と表現されるものも含めて、美味しく食べられるから正規品。その理念に賛同して、私たちもこの晩柑を取り扱いたいと思ったのです。

吉田さんが乗る、ユンボ。
▲浩司さんが肥料を仕込む際に乗る、年季の入ったユンボ。

「水俣は面白い人や言葉に溢れている。そういうのが、自分がやってきた農業にもあるかもしれない。だから、これからやっていく人や今うまくいっていない人に、伝えられることがあると思う」。

現在、45歳(※2021年春の時点)。「落ち着いたら終わり」と、毎年新たな苗木を植え続ける吉田さんの挑戦から、私たちも多くのことを学ばせてもらっています。

吉田浩司さんの晩柑、こちらからお買い求めいただけます
※販売時期は例年、4月下旬から5月末頃までです