大橘を育てる山田さんに会いにゆきました。

大橘を育てる山田さんに会いにゆきました。

昭和のちょうど、ど真ん中の人間。そういう時代を生きてくれば、あるけん、やる。作らんでいっちょこうか、というのはないよ―

山田秀幸(やまだ・ひでゆき)さん……
昭和33年、水俣生まれ。高校を出てすぐ自衛隊に入隊し7年を過ごす。その後水俣に戻り、市役所でのパート勤務を経て、調理師免許を取得後明水園(※)で11年間調理を担当。現在、同園で支援員として勤務中。2019年3月に定年退職の予定。
※明水園:水俣にある重症心身障がい児(者)施設。水俣病患者の療養施設として昭和47年12月に水俣市複合施設明水園として開設され、以降水俣病認定患者対応の施設として経過してきた。

 

「ここも元は山だったけど、親父が開墾して段々畑にした。農業ができなくなってまた山に戻りつつあるんだけど、荒れ放題にするわけにはいかんと思って」。
秀幸さんはそう言い、ご自宅の裏に青々と茂るみかん畑を指さしました。

山田秀幸さんの営むみかん畑は、ガイアの事務所から5分ほどの、坂口という地域にあります。お仕事の傍らにこの畑で栽培しているのが、今回からガイアで取り扱いを始める大橘(おおたちばな)。皮は厚めですが、シャキシャキとした果肉の食感と爽やかな風味が魅力的な柑橘です。熊本県では袋がけで栽培後、パール柑というブランド名で出荷されています。

昔は温州みかんを育てていましたが、お父様が体調を崩されてから手入れが届かなくなり、そのタイミングで水俣に戻った秀幸さん。みかん畑の形を少しでも留めたいという思いから、せめて草刈りの手間賃程度になればと、比較的樹勢の強い文旦系の大橘を植え始めます。それが今から27、8年前のことでした。
それ以来、ずっと無農薬無施肥栽培。剪定の勉強もしながら続けておられます。

「まずは手入れする時間がないからね、結果的に無農薬よ。もう一切薬は使ってません、肥料も使ってませんって言うと、『肥料もですか?味は保証できるんですか?』って言われて(笑)」。

防除をしていないので、見た目はもちろんパール柑にはかないません。でも味の方は不思議なもので、僕らも何度か食べさせてもらいましたが、決して劣るということがない。それが証拠に、親戚の方も毎年収穫に来られるそうです。

大橘を育てる山田さんに会いにゆきました。
秀幸さんの園に実る、大橘。9月初旬頃のようす。無防除のため黒点病などが発生するが、成長するものは成長し、美味しい実を結ぶ。

「樹がやっぱり、自分の力でね。鳥とかに食ってもらわなきゃいけないんだろうけど、美味しくないと鳥も食わないだろうし・・・作られた味というよりか、自然そのものの味だと思う」。

秀幸さんはそう、静かに語ります。肥料を施した作物はそれはそれで美味しく、一方で無肥料の作物にも違った味わいがある、というのは僕らも共通して持っている考えです。

実は秀幸さんは、僕にとっては所属する地元消防団の大先輩。消防活動はもちろんのこと、みかん畑に米づくり、ツワブキやタケノコの採取など、そのバイタリティに驚かされます。本人は「そこにあるから、やる」とさっぱりした立場ですが、耕作断念地が増え、土地に対する価値観も変化しつつある世代に属する僕らからしてみれば、そういう感覚を持った方々と一緒に仕事ができることは、ひとつの希望として映るのです。

大橘を育てる山田さんに会いにゆきました。
ご自宅に続く道の途中で。右に写るのは、秀幸さんの作業小屋。現在ツワブキを煮るための窯を自力で製作中である。

定年後は時間もできるから、まずは草刈りをこまめにやってカズラ退治!そして摘果で玉太りのことなども考えていきたいと、意気揚々と話してくれた秀幸さん。

「無農薬栽培の作物をもっと知ってもらいたいし、扱ってくれるなら、こっちも張り合いが出るよ」。

こちらこそ、張り合いを持って、時間をかけてこの大橘を育て合い、いろんな人に味わってほしいと思いました。出荷時期が甘夏の繁忙期と重なるため今まで踏み出せませんでしたが、思い切ってやってみます。

最後におススメを一言で!と尋ねると、「実はサラダによく合うし、外皮は砂糖煮にしてもらってもいい。あとは、みかんタワーね」・・・みかんタワーとは?

「何かせんと面白くなかけん。(写真を見せて)一回に5、6玉分剥いてからこうやって皿に1個ずつ順番に実を重ねて。でも作っているときに娘とか母ちゃんが横から手を出すのよ。だから『それ禁止!』って言って(笑)。自分で剥いて食べなさい、ってね」。

大橘を育てる山田さんに会いにゆきました。
秀幸さんの自信作、みかんタワー。時間がかかる分、達成感のある作品。

 

(文=高倉草児)