甘夏のない人生なんて。

No amanatsu , no life !!!

熊本県は水俣市の南端、鹿児島県との県境に
ガイアみなまたはあります。
8反の園で甘夏の有機栽培を実践し、
その甘夏からマーマレードをつくる。
これが私たちの生業です。

 ガイアみなまたについて

- ガイアのマーマレード -

自家栽培の甘夏で紡ぐ、私たちの小さな伝統。

ガイアが始まってから今まで、変わらずにある商品。それが、このマーマレードです。基本的な作業工程やコンセプトをそのままに、これからもつくり続けたいと思っています。甘夏ときび砂糖のみで煮上げたマーマレードはジューシーで少しほろ苦く、皮の食感を十分に楽しめるのが特長。私たちがつくるマーマレードを食べて、皆さんが笑顔になってくれたら嬉しいです。

 マーマレードのことはじめ

- きばるとガイア -

ガイアときばる

甘夏の園に刻まれた足跡は、人間の生きざまそのもの。

厳密に言うときばるとガイアは違う団体です(よく聞かれるのですが説明がしづらく、ややこしくてすみません)。でもガイアみなまたが始まるより前から、私たちはともに、甘夏栽培の酸いも甘いも見てきました。これからも、きばるとガイアは協力しあって甘夏を育て、皆様へお届けします。

 きばるのウェブサイトへ

- お買い物について -

お買い物

お買い物の際には、オンラインショップをご利用ください。

マーマレードのほかにもあおさや水俣特産の寒漬け、無農薬栽培の水俣茶に季節ごとの青果類など、少品目ではありますがお届けしたい商品類を取り扱っています。そこでご注文に便利なようにと思い、オンラインショップを開設しました。商品の閲覧、ご注文はこちらからどうぞ。

 ショッピングサイトへ

※オンラインショップが逆に使いづらい!ということもあるはずです。もちろん郵便、電話、ファックスでも承っていますので、以下の手引きをご参照の上でご注文くだされば幸いです。
>> ご注文時のご利用ガイド

- 農作物について -

特にみかんに関しては、表皮に「黒点病」の跡がつくものが多くあります。外観は多少そこなわれますが、中身に問題のあるものではありません。
特にみかんに関しては、表皮に「黒点病」の跡がつくものが多くあります。外観は多少そこなわれますが、中身に問題のあるものではありません。

小規模農業の、底力。

水俣市は人口2万5千人余りの小都市。周辺の町も過疎化の波に洗われ、特に第一次産業に従事する若者が激減しています。それでも何とか育ててきた樹木・畑を維持し、小規模ながら農業を続ける人々がいて、ガイアみなまたはそんな人々とのご縁を大切にしながら作物の販売を続けています。お送りする青果類は、栽培時に農薬使用をできるだけ抑えてもらっているため、見た目は市販のものほどきれいではありません。ご贈答の場合など、その点が心配になる向きもあるかと思いますが、ご理解いただければありがたいです。その年の状況によりご案内の内容が変わりますので、詳しくはガイアのショッピングサイト、また通信「ガイアから」にてご確認ください。

- ガイアみなまたについて -

 初めまして、ガイアみなまたです。

初めての方もそうでない方も、このウェブサイトをご覧いただき、ありがとうございます。

No 甘夏 , No Life !!!

「甘夏のない人生なんて、考えられないよ!」
と申しましたけれども、私たちは農薬散布を減らし有機肥料を施肥して育てた甘夏の販売、そしてその甘夏からマーマレードを製造し販売することを主軸に活動している事業所です。1990年に立ち上がり、93年には有限会社として法人化。紆余曲折を経たのちに、現在があります。

 一代目の話。

ガイアみなまたを立ち上げたのは、水俣病問題をきっかけとして様々な縁により水俣に集まった人々です。『水俣病センター相思社』を中心として水俣病被害者の社会運動を支援してきましたが、それぞれが持つ問題意識には幅があり、訴訟や交渉ごとを手伝いながらも「自分はなぜ水俣にいるのだろう?」と自問する日々でした。
ただ同時に、「水俣という現場で身の丈にあった生活のしかたを考え実践し続ける姿勢こそが、水俣病事件を引き起こした社会のしくみを見直すうえで重要なポイントとなるんじゃないか」という思いも抱いていました。

1977年のこと。試行錯誤をしながらも、一連の運動の中で知り合えた被害者家族らとともに『水俣病患者家庭果樹同志会』という甘夏栽培・産直販売の会を発足させることができました。大切なのは、人にも環境にもできるだけ負荷をかけない生業を試みる、その志向性。会は「水俣病被害者が加害者にならない」という旗印を掲げて甘夏の道を歩み続け、相思社はその事務局を担いました。
園での肥料撒きをはじめとして農作業にも積極的に参加しました。それだけでは生活が成り立たなかったので、リンゴ配達にエノキ栽培、肥料づくり等々、いろんなことに取り組む日々を過ごしました。生活は決して楽ではありませんでした。でも不思議と活気だけはありました。
家族ができ、子どもが生まれ、相思社はひとつの大きな「家」のような場になりました。

多くの人と想いとがその場を通りすぎ、いくつかの小さな変化とひとつの大きな転換点(これについてはきばるのウェブサイトに記しています)を経て、ガイアみなまたが動き出します。「母なる大地にありがとう」という合い言葉が、何となくではありますが共有され、それははじまりました。
引き続き同志会(現・生産者グループきばる)の事務局を担い、収穫した甘夏からマーマレードをつくり、お世話になった方から譲ってもらった事務所の前にある小さな畑をいじりながら、水俣での生活を過ごしていきました。そんな中であるメンバーは甘夏園の主となって無農薬栽培への挑戦を試みはじめ、また別の人は市議会を通して市政に関わることを選択しました。
アフターファイブを使って福祉センターに赴く人、水俣病事件に寄り添いながら小さな畑を耕す人、スウェットロッジに行ってはスピリチュアルな世界と共存する人等々。ガイアを基点として、それぞれの考える「身の丈」がだんだんとかたちを現すようになってきたのかもしれません。

そしてそれは、現場における「実践」という行為の、確かにひとつの結果であったと思います。

そんなこんなで、多くのご縁に支えられて、ガイアみなまたは今も水俣に在ります。

 僕らの話。

ここまでが、本当に大ざっぱな、ガイアみなまたの生い立ちです。

さて、数奇な縁から僕らの先輩たちが水俣で歩み、踏みわけてきた道は、驚くほどに重層的で多様な植生の繁茂する世界でした。だがしかし、残念ながら僕らはその道をともに歩んできたわけではありません。「母なる大地に、ありがとう」は彼らの実践から生まれた、実感に満ちた、生の言葉であります。なので、ひょいと借りてきて僕らの言葉に代えようと思っても、そうは問屋が卸さないのです(たぶん)。

僕らは、僕ら自身の実践から、僕らの実感がこもった「生(なま)」の言葉を発してみたい。

あるいはそれは、彼らの発した言葉と重なるものなのかもしれません。しかしそれは結果的にというか、後になってからわかることです。

時代は移ろい、勝手口は変わり、課題は山と積まれていますが、それでも僕らはこのガイアという場所にこだわります。それはやはり、甘夏の樹が目の前にあるから、マーマレードづくりという生業が、絶やしたくない貴重な生業としてそこあるからです。先人からしっかり知恵と技術を引き継ぎ、それをチョキチョキ切り貼りしながら、対応してゆきたいものです。
この現場はまだまだ面白い、そう思います。そしてそういうようなことをそれぞれの現場に対して思っている人は全国にたくさんおるやろ、と僕は思っています。
それはたぶん、僕らにとっての希望の光。かすかに見える街の灯です。

僕らはこれからも、甘夏の無農薬栽培を試みながらマーマレードをつくり、縁ある皆さまにこれを提供してまいります。面積でいえば3反にも満たない小さな世界の物語を、これからも坦々と紡いでゆく。それはレイモンド・カーヴァーよろしく、どこにでもありふれている物語であると同時に、かけがえのないたったひとつの物語でもあります。

そんな物語に、これからもお付き合いのほどをいただけるならば、幸いです。

 

2016年10月15日

高倉草児