もんぺの織元さんに会いにゆきました。

もんぺの織元さんに会いにゆきました

「無くなるもんは無くならな、いかんとかなぁと……嫁さんといつも、話してるんですよ」

少し笑いを交えながら光延(みつのぶ)さんは、そうおっしゃいました。「残したいという気持ちも、ひとつはあるばってん……」と続けたその言葉は、ずらりと並んだ織機に吸い込まれていくようでした。

福岡県筑後市にある「光延絣店」は現在、父親の後を継いだ光延俊章さん(63歳)夫妻と、パートさんの3人で操業しています。30代で店を継ぎ、見よう見まねで仕事を覚えたという光延さんは、もんぺ絣がおかれている現状について「あと10年やれたらよかかな」と言います。

昨年まで三軒あったもんぺ絣の織元は、現在光延さん一軒になり、その光延さんにも後継ぎはいません。絣の世界は、括り屋、染屋、織屋、縫製、問屋……といったように分業が発展したがゆえに、自立した製造をすることが非常に難しく、その需要は輸入品や安い化繊の衣類に押されて大幅に減少しています。もちろん中には、久留米絣を後世に残すため、和装ではなく、洋装向けのデザインで活路を見出す個性的な織元さんもおられます。けれど、あの懐かしいもんぺ絣の織りに関して言えば、光延さんが最後の砦となってしまいました。

絣のもんぺは、洗うと多少縮みますが、穿けば穿くほどに柔らかく肌になじみ、またざっくりと織られた布地は通気性がよく、汗をよく吸ってすぐに乾きます。軽くてゆったりしたデザインは、着心地とともに動きやすさも与えてくれます。そして何より、この柄の豊富さ。井桁や格子柄だけでなく花をモチーフにしたり、四角や丸の連続模様があったり、様々なパターンを楽しむことができます。光延さんによると、図案師さんがいるので絵柄はごあまんとあるとのこと。白い絣の他に、赤や青、緑の色糸が入っていて大柄なデザインが特長です。

もんぺの織元さんに会いにゆきました
これがもんぺの織機。年季が入っているが、しっかり働く。ここから私たちの穿くもんぺが産み出されているのだと思うと、感慨深いものがある。

この楽しい柄が「農作業が少しでも楽になるように考案された」とおっしゃるのは、水俣市内で衣料品店を営む「マルヒラ」の店主、平田さん。平田さんと私たちとのお付き合いも、37年目を迎えました。もんぺを暮らしに取り入れることの心地よさを実感し、ガイアでも取り扱いを始めてみると、意外なことに男性からもご希望をいただくようになりました。今でもじわじわとファンが広がっています。

これまでは問屋さんから送られてくるもんぺの販売だけを考えてきました。しかしながら、糸から染めて織る絣の伝統技術そのものがこの世から消え、職人さんもいなくなってしまうかもしれないという現実に直面した今、私たちにできることは何かと考えています。現在、国産の衣料品は3パーセントしかないという事実からも、改めて身に着けるものへの想いを馳せずにはいられません。穿き心地のよさは、手間暇のかかる「織り」にある。綿だから、破れてもろくなるのは、当たり前。最後は雑巾にして、土に還す。そういうサイクルをもう一度見直す時期に来ているのかもしれません。日本の風土に合った素材と形であることを、多くの人に実感していただけるよう、私たちはもんぺのよさを伝え続けます。

帰り際、取材にお邪魔させていただいた私たちに、光延さんは「久しぶりに、元気をもらった」と言ってくださいました。まずは10年、光延さんに寄り添い、もんぺの販売を続けること。その過程で何かしら、未来を変える出来事を起こすきっかけをつかめれば、と思っています。

初めて絣のもんぺに出会ったときの「あ、これだ!」という感動を、何度も思い返しながら。

もんぺの織元さんに会いにゆきました
わたし(鼓子)と光延さん。笑顔がステキな方だ。
もんぺの織元さんに会いにゆきました
NHK「あまちゃん」の衣装に光延さんの絣が採用されていたそうで、このチラシを大事そうに見せてくれた。

(2017年6月「ガイアから55号」記事より抜粋)