甘夏のない人生なんて。

熊本県は水俣市の南端、鹿児島県との県境にガイアみなまたはあります。3反の園で甘夏みかんの有機栽培を実践しつつ、その甘夏みかんからマーマレードをつくるのが主な仕事です。

 ガイアみなまたについて

季節の青果ご案内

Seasons

2017年坂本さんの玉ねぎ

2017年春産・坂本さんの玉ねぎを、今年もお楽しみください!

きばるの甘夏販売がいよいよ終了を迎え、春もすぐそこです。今年は気温の上昇が遅く、東京より桜の開花も遅いという変なことになっていますが、玉ねぎは順調に成長しています。温州ミカンでおなじみの坂本さんが育てた甘味たっぷりのサラダ玉ねぎを、今季もどうぞご賞味ください!

坂本さんに会いに行った記事はこちら

Information
※7月初旬をもって2017年の玉ねぎ販売を終了しました。次は秋のご案内をお待ちください。

私たちが取り扱う青果類についての、ちょっとした説明。

水俣市は人口2万5千人余りの小都市です。周辺の町も過疎化の波に洗われ、特に第一次産業に従事する若者が激減しています。それでも何とか育ててきた樹木・畑を維持し、小規模ながら農業を続けている人々がいらっしゃいます。ガイアみなまたはそんな人々とのご縁を大切にしながら、作物の販売を続けています。
ガイアみなまたからお送りする青果類は、栽培の際に農薬使用をできるだけ抑えてもらっています。そのため、果皮は市販のものほどきれいではありません。ご贈答の場合など、その点がご心配になる向きもあるかと思いますが、ご理解いただければありがたいです。
その年の収穫量、栽培方法によりご案内の規格が変わりますので、詳しくはガイアのショッピングサイトにてご確認ください。

特にみかんに関しては、表皮に「黒点病」の跡がつくものが多くあります。外観は多少そこなわれますが、中身に問題のあるものではありません。
特にみかんに関しては、表皮に「黒点病」の跡がつくものが多くあります。外観は多少そこなわれますが、中身に問題のあるものではありません。
お買い物

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ご注文に便利なようにと思い、ガイアみなまたのネットショップを開店しました。商品の閲覧、お買い物はこちらからどうぞ。

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ガイアみなまたご利用ガイド

私たちについて

About Us

 初めまして、ガイアみなまたです。

初めての方もそうでない方も、このウェブサイトをご覧いただき、ありがとうございます。
まずは言わせてください、

No 甘夏 , No Life !!!

ガイアみなまたは1990年に設立されました。減農薬・有機栽培甘夏みかんの生産販売、またマーマレードの製造販売を主軸として活動している事業所です。93年には有限会社として法人化し、紆余曲折を経たのちに現在があります。

 一代目の話。

ガイアみなまたを設立したのは、この文章を書いている僕こと高倉草児の両親を含む、9名のメンバーです。
彼らは1970年代半ばから、水俣病問題をきっかけとして様々な縁により水俣にたどり着いた人々でした。それからというもの、「水俣病センター相思社」を中心として水俣病被害者の社会運動を支援してきたのですが、運動に際してそれぞれが持つ問題意識には幅があり、訴訟や交渉ごとを手伝いながらも「自分はなぜ水俣にいるのだろう?」と自問する日々であったそうです。
ただ共通して抱いていたのが、この水俣という現場で身の丈にあった生活のしかたを考え実践しつづける姿勢こそが、水俣病事件を引き起こした社会のしくみを見直すうえで重要なポイントとなるのではないか……という予感にも似た想いでした。

水俣病の被害に遭った人々が、慣れ親しんだ豊穣の海を失い、新たに生きる道を探ることを余儀なくされている。一方で自分たちもまた、水俣で生きるための基盤を探る道の途上。この状況を何とかしなければ。
試行錯誤ののちに、一連の運動をする中で知り合うことができた被害者家族らとともに「患者家庭果樹同志会」という甘夏栽培・産直の会を発足させるにいたりました。ときは1977年。
大切なのは、人にも環境にもできるだけ負荷をかけない生業を試みる、その志向性。会は「水俣病被害者が加害者にならない」という旗印を掲げ、無農薬・有機栽培の実現を目指す困難な道を歩みつづけることを決意しました。
水俣病センター相思社はその事務局を担いましたが、事務局という機能にとどまらず、みかん園での肥料撒きをはじめとして農作業にも積極的に参加しました。それだけでは生活が成り立たなかったので、リンゴ配達にエノキ栽培、肥料づくり等々、いろんなことに取り組む日々を過ごしました。生活は決して楽ではありませんでした。でも不思議と活気だけはありました。家族ができ、子どもが生まれ、相思社はひとつの大きな「家」のような場になりました。
僕も、その中で生まれた子どものひとり。1984年生まれのふたご座です。

時間に乗って多くの人と、想いとがその場を通りすぎ、いくつかの小さな変化とひとつの大きな転換点(これについてはきばるのウェブサイトに記しています)を経て相思社を離れるところから、ガイアみなまたが動き出します。「母なる大地にありがとう」という合い言葉が、何となくではありますが共有され、それははじまりました。
引きつづき患者家庭果樹同志会(現・生産者グループきばる)の事務局を担い、収穫した甘夏からマーマレードをつくり、あおさのりや寒干し大根をはじめとした地域の産品を取り扱い、事務所の前にある小さな畑をいじりながら水俣での生活を過ごしてゆきました。移植されてきた植物が地中に根を張りなおしてゆくような、そんな印象を受ける時間軸でありました。
そうしてゆく中で、あるメンバーは甘夏園の主となって無農薬栽培への挑戦を試み、また別の人は市議会を通して市政に関わりはじめました。アフターファイブを使って福祉センターに赴く人、水俣病事件に寄り添いながら小さな畑を耕す人、スウェットロッジに行ってはスピリチュアルな世界と共存する人等々。
ガイアを基点として、それぞれの考える「身の丈」がだんだんとかたちを現すようになってきたのかもしれません。そしてそれは、現場における「実践」という行為の、確かにひとつの結果であったと思います。

そんなこんなで、多くのご縁に支えられて、ガイアみなまたは今も水俣に在ります。

 僕らの話。

ここまでが、本当に大ざっぱな、ガイアみなまたの生い立ちです。
2016年現在、ガイアのメンバーは7名。うち2名がいわゆる二代目、僕(高倉草児)と妹(高倉鼓子)です。この二人は一度水俣を離れたものの、ガイアの生きる道を何とか未来につなぎたくて、「ええいっ」と生まれた場所に戻ってきました。

さて、数奇な縁から僕らの先輩たちが水俣で歩み、踏みわけてきた道は、驚くほどに重層的で多様な植生の繁茂する世界でした。だがしかし、残念ながら僕らはその道をともに歩んできたわけではありません。「母なる大地に、ありがとう」は彼らの実践から生まれた、実感に満ちた、生の言葉であります。なので、ひょいと借りてきて僕らの言葉に代えようと思っても、そうは問屋が卸さないのです(たぶん)。
僕ら、僕ら自身の実践から、僕らの実感がこもった「生(なま)」の言葉を発してみたい。
あるいはそれは、彼らの発した言葉と重なるものなのかもしれません。しかしそれは結果的にというか、後になってからわかることです。

時代は移ろい、勝手口は変わり、課題は山と積まれていますが、それでも僕らはこのガイアという場所にこだわります。それはやはり、甘夏の樹が目の前にあるから、マーマレードづくりという生業が、絶やしたくない貴重な生業としてそこあるからです。先人からしっかり知恵と技術を引き継ぎ、それをチョキチョキ切り貼りしながら、対応してゆきたいものです。
この現場はまだまだ面白い、そう思います。そしてそういうようなことを思っている人は全国にたくさんおるやろ、と僕は思っています。
それはたぶん、僕らにとっての希望の光。かすかに見える街の灯です。

僕らはこれからも、甘夏の無農薬栽培を試みながらマーマレードをつくり、縁ある皆さまにこれを提供してまいります。面積でいえば3反にも満たない小さな世界の物語を、これからも坦々と紡いでゆく。それはレイモンド・カーヴァーよろしく、どこにでもありふれている物語であると同時に、かけがえのないたったひとつの物語でもあります。

そんな物語に、これからもお付き合いのほどをいただけるならば、幸いです。

 

2016年10月15日

高倉草児

ガイアときばる

それはレイモンド・カーヴァーよろしく、どこにでもありふれている物語であると同時に、かけがえのないたったひとつの物語でもあります。

ガイアみなまたが始まるよりも前から、ガイアみなまたは生産者グループきばるとともに酸いも甘いも見てきました。
これからも、甘夏みかんをともにつくり、皆様のもとへお届けしてゆきます。

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